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由来と歴史

地主神社の歴史

神代・縄文時代

社伝によれば、地主神社の創建年代は神代(かみよ:日本の建国以前)とされ、近年の研究により「恋占いの石」が縄文時代の祭祀遺物であることが確認されました。また、周囲が湖であった時代にも、地主神社の境内地は島のように陸地となっており、不老長寿の霊山「蓬莱山(宝来山)」 として信仰をあつめていました。地主神社の東隣下の崖には、船が着いていたとも伝わっています。

飛鳥・平安時代

嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇と歴代天皇が行幸。また970年には臨時祭・地主祭りを仰せつかりました。

701年

大宝元年

地主神社本殿の形式は、法隆寺と同じ双堂建築で、日本最古の神社建築様式である。

797年

延暦16年

坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、田村麻呂大刀一振りを地主神社に奉納。

811年

弘仁2年

4月、嵯峨天皇行幸。(御車返しの桜の故事となる)

970年

天禄元年

3月9日、円融天皇行幸。臨時祭を仰せつかる。これより後、永式として例祭を毎年4月9日に行う。

1082年

永保2年

白河天皇行幸。地主神社にて17日間参籠(さんろう:神社に昼夜にこもっての祈願)された。

1170年

嘉応4年

後白河上皇篇『梁塵秘抄』に地主神社の記述あり。毎年三月、白川女により地主桜を御所に献上。

『梁塵秘抄』(歌謡・後白河上皇篇)

清水に 天露別の おはすれば むべこそ神は 天降るらめ
(清水山に天孫降臨に従った天露別の神[地主神社の神の意]が いらっしゃるので、どうりで神が天降りなさることだ)

『玉葉集』(1100年)

ちかひきて 天の岩戸をあけしより かたきねがひを かなふべしとは
(地主神社の神様のご利益、ご神徳の貴さを称えた歌)

中世

謡曲『田村』『熊野』をはじめ、『梁塵秘抄』『閑吟集』など、有名文学にたびたび登場。「地主権現」の名が、ご利益ある神様として全国に知れわたりました。

1202年

建仁2年

運慶、狛犬一対奉納。梶原景清が参拝。

1500年

明応9年

宗祇、地主連歌を興行。名桜・地主桜が『閑吟集』に詠まれる。また、謡曲『田村』(世阿弥作)・『熊野』でも地主桜が謡われた。

『閑吟集』(1518年)

地主の桜は 散るか散らぬか 見たか水汲
             散るやら 散らぬやら 嵐こそ知れ
おもしろ花の 都や筆でかくもとも及ばじ東に祇園
    清水落ちくる 滝の音羽の嵐に地主の桜は散り散り……

『田村』(世阿弥作)

それ花の名所多しといへども 大悲の光色添うゆえか
                     この寺の地主の桜にしくはなし

あらあら面白の地主の花の気色やな 桜の木の間に洩る月の
      雪もふる夜嵐の 誘ふ花とつれて散るや 心なるらむ

『熊野』(作者不詳)

清水寺の鐘の音 祇園精舎をあらはし 諸行無常の声やらむ
地主権現の花の色 沙羅双樹の理なり

地主連歌(宗祇)

室町時代から江戸時代にかけて、連歌師より月の晦日に盛んに興行されました。