えんむすびの神さま 京都地主神社
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地主物語−秋− 世阿弥と観阿弥 父子の縁
 
芸に捧げた人生「能」に生きた二人の父子
地主神社境内の奥に祀られる大田大神は、芸事上達と長寿の神様として知られている。習い事の上達を願う人から芸能界を目指す人まで、数多くの人びとが参拝に訪れている。
現在も伝承され続けている日本の古典芸能「能」の世界は、室町時代に将軍・足利義満の支援を受けて、ある父子によって大成した。父・観阿弥とその子、世阿弥である。人間味あふれる新しい能を築き上げた観阿弥。父の跡を受け継ぐも世俗的な父の能に反発し、優雅で情緒ある貴族的な能を編み出した世阿弥。世阿弥は、縁を詠むのページでも紹介しているように、名作『田村』や『熊野(ゆや)』の中で地主桜を多く謡っており、地主神社とも関わりが深い人物である。「能」に人生を捧げたこの父子の間にあった深い縁とはどのようなものだったのだろう。
 
ありのままの人間の姿を描いた、父・観阿弥の能。
父・観阿弥は、今までの物真似を中心とした滑稽芸「猿楽」に風流と歌舞の要素を取り入れて新しい能を創りだした。観阿弥の芸には自然と人、人と人との繋がりを描いたドラマ的な要素が強く見られ、それは民衆の意識により近いものであった。彼は各地を遍歴しながら演じ、その土地土地の庶民や社寺の人々と触れ合い、支えられた。父・観阿弥の芸風は、そこから生まれたのであろう。また、歌舞を取り入れたことにより、今日の言葉で言えばミュージカル的なものへと改革を行ったと言える。
 
優雅な世界に魅せられた、子・世阿弥の能。
一方、子・世阿弥は、幼少の頃から父・観阿弥の一座に出演し、十二歳の時には名童として時の将軍・足利義満をはじめ多くの公家たちの目を奪ったという。当時の貴族・武家社会には、幽玄(優雅で柔和な美しさ)を尊ぶ気風があり、世阿弥はそれに合せて言葉,所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」という新しい様式を完成させて、能の芸術性を高めた。一般に能楽者は十分な教育を受けることが難しい時代であったが、世阿弥は上流階級と交際しながら古典教育を受けていたため、観客である武家や貴族たちの好みに合せた能を創ることができたのである。
 
「大衆」と「個人」の芸術観、父子のすれ違い、そして・・・
父・観阿弥が人間的な交わりや繋がりを自然に表現したのに対し、子・世阿弥は、古典的情緒を重んじながら一個人の深層心理を深く掘り下げる孤立的な能を造り出した。
父と対極とも言える能を創った子・世阿弥には、父・観阿弥の能が不徹底で現実との妥協の産物にしか見えなかったのかもしれない。しかし、その妥協したかに見えるところに、実は生きたダイナミックな芸術論や美学があったのである。父・観阿弥が創り出した能は、一個人にスポットを当てるのではなく、自然の中で逞しく生きる人間の姿、人間と人間の触れ合いの機微だった。
「人は自然の中で生かされている」
「人は一人だけでは生きてはいけない」
それに気づいた子・世阿弥は、父・観阿弥の偉大さ、自然の雄大さをあらためて認識したに違いない。父に反発しながらも、そこには決して切れることのない親子の縁があった。そしてもうひとつ、演じる形は違っても「能」という強い縁が、二人を強く強く結んでいたのである。

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長寿と芸事上達の神さま大田大神と大国さまは撫でる箇所によって、いただけるご利益が違う
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