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アーカイブ2004年7月15日

節分の豆~穀霊の儀式

date2004年7月15日

日本の文化は中国の影響を深く受けています。
節分も元は中国の儀礼であり、8世紀頃日本に伝わり宮中で初めて
行われたとされています。
 
節分には豆まきが付き物です。
元々日本でも米などをまいて厄払いをしていたという説もあり、
豆をまくという風習も受け入れ易かったともいわれます。
現在でも地鎮祭などで神主は、お米をまいて土地を清めています。
 
豆には非常に強い生命力があり、そこから強い霊力が宿るとされて
いました。
その力で鬼を追い払う、つまり厄をはらう、これが豆まきの意味だ
と考えられています。
 
ところが、この風習の起源である中国ではむしろ豆には強い陰の
気が宿っている、つまりは豆そのものが鬼であるとされていたと
いいます。
 
現在でも、まく豆は必ず炒ったものを使います。
この豆を炒る時にすでに鬼退治が行われているのだという説があり
ます。豆を炒ることでその生命力を絶ち、豆に宿る陰の気を消滅さ
せているとみるのです。
 
節分は冬から春への季節の節目の行事です。冬の陰の気を祓い、
春の陽の気に変わる事を祈願して行われます。
豆を炒り、そして投げることにより陰の気を祓い、鬼を祓っている
というのです。
 
豆に対するとらえ方は、元の中国と日本ではかなり変化したよう
です。
しかし、豆や穀物に強い生命力や霊力を感じていたことでは、
共通しているのではないでしょうか。

お正月 お年玉~年頭の祖先崇拝 神霊の儀式

date2004年7月15日

お年玉は、お正月の習慣となっていますが、この言葉も、神道とは
関係の深い言葉です。
お年玉のタマとは、霊魂、タマシイを意味します。ご先祖の霊を、
ミタマ(御霊)などと表現します。霊、魂といった、精神的、抽象
的なものをタマ、丸いものとイメージし、表現しています。
 
自然崇拝では太陽が、信仰の中心的な位置をしめる傾向があります。
確かに私たちは、太陽の恵みなくしては、生きる事はできません。
太陽は円形に見え、そのため尊く神聖な信仰の対象に、タマという
言葉をあてたのでしょう。
 
新年には、新しい活力ある神を迎え、豊作や家族の幸福を祈願する
それが正月の神事なのです。
お年玉は、新年の新しい神そのものをさし、さらに、神へのお供え
物(神饌)を意味するようにもなりました。
お年玉は、そのお供え物をお下がり(撤撰)として賜り、霊力を頂く
ということなのです。
 
神社への初詣と同様に、お年玉も年初の神道儀礼が、日本人の習慣
となっているのです。
 
 
  京都地主神社 お正月・初詣特集ページ
 
 
 
 

神仏習合(3)~権現(ごんげん)

date2004年7月15日

権現様という言葉は、ダイコクサマのようにある神様のお名前として、
記憶の片隅にあるという方もおられるかと思います。
 
地主神社もかつて、地主権現(じしゅごんげん)と呼ばれていたことが
ありました。国語辞書にもこの名が記されています。
この権現は、神仏習合(神と仏が一体となること)と非常に関係が深い
言葉なのです。
 
権は、仮という意味で、現は文字通り現れるという意味、つまり権現の
意味とは「仮に現れる」ということになります。
 
権現は仏教用語であり、仏が、日本で仮の姿として現れた姿が、神道
(神社)の神であるという仏教側からの解釈を示しています。
 
仏教の勢力が強い時代、神道は仏教と習合し、あるいは取り込まれ
ました。権現は、そのことを端的に示した言葉といえます。
 
地主神社の神は、縄文時代という非常に古くからこの地で信仰され、
最古に属する地主神(じぬしじん)ですが、地主権現と呼ばれていた
のも、清水寺という仏教寺院と神仏習合していたからなのです。

家の神様~民衆の神々

date2004年7月15日

八百万(やおよろず)の神とは、簡単にいうと、何にでも神が宿っ
ておられ、数多くの神々がおられるのだという事です。
古事記、日本書紀などには、たくさんの神々が登場し、大国主命や
素戔嗚尊など、有名な神様もご活躍になります。
 
一方で、それぞれの村や家に、代々伝わり、信仰されてきた神々も
おられます。
台所の神様、トイレの神様、井戸の神様などなど、旧家では今でも
家のあちこちに神様が奉られています。
 
食物を煮炊きするために欠かせなかった竈(カマド)には荒神さま
が奉られ、井戸の脇には水神様が奉られていました。
これらの神々は、ただ火の神、水の神というほかに特に固有の名前
をお持ちではありません。
火と水は人々の生活に欠かすことができず、そのためこれらの守り
神は、古くから人々に信仰されてきました。
 
古事記などの神話に登場する神々は、確かに有名でメジャーな神々
なのですが、名は無くても人々に根強く、そして日本人の神への
信仰の根源を示すような神々が家の中には祀られているのです。

右と左の話~騎馬民族と道教文化

date2004年7月15日

神道の作法では、神様に近い方を上位、正中(神様がまつられる
御扉の中心をまっすぐ前にのばしたライン、大変貴いラインとされる)
を上位、そして神様に向かって右を上位としています。
また、神道に限りませんが、白衣は左襟を上にきます。
これは、左を上位と見なしているからともいわれます。左右
のどちらを上位とするかは、日本が他の地域から受け入れた
文化、宗教などが大きな影響を与えているとされています。
 
ここで少し気をつけなければならないのは、何を基準にするか
で左右が逆になるということです。
神様に向かって左という事は、神様からは、右ということに
なります。
因みに、地図で京都市を見ると右京区が左、左京区が右に
見えます。これは、御所が基準にされているためです。
 
現在では、日常の中でも右を上位とする作法・文化と
左を上位とする作法・文化があります。
これは、大陸の異なる地域の影響をそれぞれの時代に受けて
きたからなのです。
 
高松塚古墳の有名な美人画は右襟を上に描かれています。
7世紀頃までは、右を上位とする文化があったのでしょう。
右を上とするのは大陸北部の騎馬民族の文化の影響であり、
左を上とするのは中国南部の道教の文化の影響ともいわれて
います。
 
日本人の習慣や、神道の中の左右にも様々な地域の文化の影響
を受けた証があるのです。

神様のご分類(その2)~和魂 荒霊

date2004年7月15日

神様をそのご性格で分類すると、和魂(にぎみたま;和御霊とも
書く)と荒魂(あらみたま;荒御霊)になります。
和魂は、神様のおやさしい、温和な霊力を指し、荒魂は、勇猛さの
反面、粗野で、時には人に祟りを及ぼすような霊力であり、神の
「怒り」を示しているともいわれます。
和魂は、さらに人に幸福をもたらす幸魂(さきみたま)と人に霊力
など不思議な力を与える奇魂(くしみたま)に分類されます。
 
┌─和魂(にぎみたま)───┬──幸魂(さきみたま)
│                 │
│                 └──奇魂(くしみたま)
└─荒魂(あらみたま)
 
和魂と荒魂は、元来一つの神の2つの側面を表したものです。
後に荒魂の霊力のみをもつ神がまつられるようにもなりました。
元々神道は太陽などの自然を神と仰ぎ、自然現象などにその霊力を
感じ取ってきました。自然は日々の恵みをもたらしてくれると共に、
時に、風水害、落雷、地震、など大規模な災害をもたらします。
そのような自然の姿が、古代の人々の神への信仰に大きな影響を
与えたのではないでしょうか。
人々に不利益を与える面も、荒魂としてお祀りしたのは、厳しい
自然現象からも、神のパワー感じたからでしょう。
 
和魂と荒魂の祭祀は、神や自然への感謝と恐れの気持ちと共に、
それらへの、深い洞察を示しているのです。

神さまのご分類~天津神 国津神

date2004年7月15日

多神教である神道の神様は、あらゆるものに宿り、無数におられ、
これを八百万(やおよろず)の神ということは、前にお話しました。
 
その多くの神様をそれぞれの特徴によって、様々にご分類する事が
できるのです。
 
もっとも代表的なものとして、天の神様系と、地の神様系という
2つの系統に分けることができます。
天の神様とは高天原(たかまのはら)という天におられる神の系統
であり、地の神様とは、元々その土地におられ守護していた土着の
神様、あるいは、天の神様の子孫で地にお住みになった神様をいい
ます。
天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)ともいい、この2つ
のすべての神々を総称して天神地祇(てんじんちぎ)といいます。
地主神社の主祭神、大国主命(おおくにぬしのみことさま)は、
国津神の代表的な神様です。
 
神様はすべて頭の上の方の天におられるようにイメージされている方
も多いと思います。
しかし、古事記、日本書紀によって天と地の神の2つに系統立てら
れていることは、歴史学や、民族学、人類学などの立場から様々な
解釈がなされています。

大国さまと大黒さま

date2004年7月15日

大国さまと大黒さま。
どちらも違いを意識することなく、「だいこくさま」と親しみをこめて
お呼びなっているのではないでしょうか?
しかし、大国さまと大黒さまは、元は全く別の神様なのです。
 
大国さまは、日本の神話に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)
で、つまり日本の神さまです。
地主神社の主祭神でもあり、縁結びの神、土地守護の神として篤い信仰を
集めています。
 
一方の大黒さまは、マハーカーラという荒々しいインドの神で
日本に伝わると密教の守護神となりお寺の台所や食堂の神として
祭られていました。
 
七福神の「だいこくさま」は大黒さまの方になります。
ちなみに七福神のうち日本起源の神様は、恵比須さまだけです。
 
寺院で祭られる「だいこくさま」は外来の神、大黒天で
神社では大国主命とご理解頂いて良いと思います。
社寺にご参詣の折りに、少し注意して確かめてみてください。

神仏習合(2)~多神教の国々

date2004年7月15日

もとは別々の神々が1つになる、つまり習合ということは、
日本に限ったことではありません。
多神教(神を1つとせず様々な神を祀る)の地域ではよくある
ことなのです。
 
最も知られているのはインドでしょう。
インドを発祥とし多神教のヒンズー教は、ブラフマー(宇宙
創造の最高神)、シヴァ神、ヴィシュヌ神など数多くの神々を
奉じています。
ご存じのように仏教もインドの起源ですが、その後インドの
ほとんどの地域で他の宗教に取って代わられ、みられなくなっ
てしまいます。
しかし、仏陀(釈迦)はヴィシュヌ神の9番目の化身とされ、
つまりヒンズー教と習合していまでも信仰されています。
ヒンズー教徒が仏教遺跡の仏像に手を合わせる姿は日常的に
見られようです。
逆にブラフマーは「梵天」として仏教の中にとりこまれています。
また帝釈天はヴァラモン教の武雄神インドラ、七福神の
弁財天はヒンズーのサラスヴァティー、吉祥天はラクシュミーと、
もとは、ヒンズーの神であったのが仏教に取り込まれ日本でも
信仰されているのです。

注連縄(しめなわ)~自然崇拝

date2004年7月15日

神社というと、わらなどでつくられた縄に白い紙でできた
紙しでを垂らされている注連縄も一つの特徴でしょう。
神仏習合の影響もあり、お寺でも見られますが、もとは
神道のものです。
聖なる場所をはっきり示すために張られるもので、
神話の天の岩戸伝説にもみえます。
 
正月に玄関先に(あるいは車にも)飾られるお家も多い
かと思います。
それらにはミカンやダイダイあるいは地方よっては、
伊勢エビや昆布等をいっしょに飾る風習もありますが
新年の豊作を祈念した風習とされています。
 
縄の部分は「雲」を、節ごとにたらされるわらは、「雨」
紙しでは、「雷」を表すともいわれています。
こうした自然の現象に、人々の営みが、大きく左右され
意識せざるを得なかった太古の、自然崇拝の頃のなごり
なのです。

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