節分に豆をまく儀式は、中国から伝わったのですが、
古代の日本にも同じような神事はありました。
地鎮祭などで、塩と共に米をまいてお祓いをするのは
その名残ともいわれます。
このような豆まきの儀式は、さらに古代のギリシャ、ローマでも
行われていたといいます。
こちらの豆はソラ豆だそうですが、アメリカインディアンなど
世界の各地にも同様の儀式がありました。
そして、各地の儀式に共通の豆に対する考えがあります。
以前も書きましたが、豆そのものが鬼、つまり災いのもと
とされると同時に、豆にはこの災いを福に転じる神聖な霊力を
持つとされているのです。
なぜ、世界の異なる地域にこのような同様の儀式や
考え方があったのか、あるいは伝搬したのか
非常に興味深いところです。
あるいは、人類共通の宗教観が、脳のどこかに
セットされているのかもしれません。
古代ギリシャにおいて、豆の持つ霊力やあいまいさを
非常に嫌悪した一派がありました。
西欧哲学の原点は、この一派にあるとさえいわれて
います。
こうしてみると節分の豆まきは、実に世界の文化と連なる
儀式なのです。