古代の日本の「天文学」は、中国から伝来したものです。
古くから中国や朝鮮半島の古墳の天井には星図が描かれていました。古墳(お墓)に星図を描くことで一つの宇宙に見立て、死後もそこで暮らせるように、との思いがあったと言われています。
同じように、奈良県明日香村のキトラ古墳や高松塚古墳の石室の壁や天井にも星座が描かれているのが発見されています。
七夕特集
古代の日本の「天文学」は、中国から伝来したものです。
古くから中国や朝鮮半島の古墳の天井には星図が描かれていました。古墳(お墓)に星図を描くことで一つの宇宙に見立て、死後もそこで暮らせるように、との思いがあったと言われています。
同じように、奈良県明日香村のキトラ古墳や高松塚古墳の石室の壁や天井にも星座が描かれているのが発見されています。
日本の神話には、世界の神話にくらべて星の神さまはあまり出てきません。しかし、平安時代に大流行した陰陽道や宿曜道(すくようどう)をはじめ、方角やできごとの吉兆などを占う星占いはたいへん人気がありました。
日本には古くから夜空のできごとを記した天文現象の記録がたくさん残されています。飛鳥時代(592年~710年)には陰陽寮(おんみょうりょう)という政府の機関があり、そこでは中国にならって星を観測していました。これは占いを中心とした天文観測で、占星台も作られ、日食、星食、すい星などの現象が記録されました。鎌倉幕府(1192~1333年)の史書「吾妻鏡(あずまのかがみ)」には、1222年に現れたハレーすい星の記録や、月に惑星がかくされたり、惑星同士が接近したりという天文現象が80近くも書かれています。また、「続日本紀」(797年)などに出てくる星の話は、すべて夜空の観察記録で、記録はかなり正確なものでした。