line

宮司の言葉

地主神社は社殿修復⼯事のため、
閉⾨しています。
(工期約3年)

受け付けました「縁むすび特別祈願」は、
神官が毎⽇ご祈願しております。
郵送で受付中

宮司の言葉

日本で古くから信仰されてきた神さまは、太陽や山、森、木々など宇宙・世界・森羅万象に宿るとされ、八百万(やおよおよろず;非常に数が多いこと)の神ともいわれます。お米などの収穫を得るにも、日の光や雨が降ることでもたらされる水が必要なように、私たちは自然の恵み無しには、一日も生きていくことができません。科学がどんなに進歩し、社会や生活環境が激変しても、変わることのない真理といえるでしょう。古代の人々も日々の営みのなかで自然の大いなる力を感じ取り、自然への畏敬や信仰の念を持ったのです。農耕の技術や知識が発達していない古代においては、日々の糧を得るのも非常に困難であり、それだけに神様への切実な願い事は、豊作や豊漁であったことでしょう。さらには、人の命を後世へとつなぐ子孫繁栄は、いっそう大きな願いごとだったにちがいありません。日本で最も古くからお祀りされた神、原初の神々は、こうした願いをかなえる神であり、人や作物といった生命を産み出し、繁栄をもたらす神でした。また生命の誕生には2つのものを出会わせ結びつけることが必要です。そのため原初の神は、結びの神でもあったのです。

地主神社の神様は、日本でも非常に古くから祀られた古層の神、原初の神です。京都盆地は、大昔には湖に沈んでいた時代もありましたが、地主神社の境内地は、島のように陸地となっており、「蓬莱山」と呼ばれ不老長寿の霊山として信仰されていたと伝わっています。ご本殿前の「恋占いの石」も近年の研究で縄文時代の遺物とされています。こうした最古の歴史を持つ地主神社の神に古代の人々がささげた祈りは、やはり強いご霊力で命を産み出していただくこと、豊作や子孫の繁栄であったことでしょう。子孫繁栄には男女を巡り合わせ結びつけねばなりません。ですから原初の神である地主神社の神様は、縁をとりもつ結びの神、縁結びの神でもあったのです。

現代の皆様の願い事は、受験合格や商売繁盛、健康長寿など様々おありかと思います。しかしどんな願いごとよりも、まずはお一人お一人が命を授かること、この世に生をお受けになることが大前提ではないでしょうか?命を産み出し、命を授かるには、人と人との結びつきが不可欠であり、そう考えますと、どのお願いごとよりまず最初のお願いごとは、人と人との縁、つまりは出会いや絆であり、古代の人々と同様に「縁結び」ということになります。また男女の縁に限らず、私たちが幸福をえるには、日々良いご縁を授からねばなりません。仕事であれば、良い上司に巡りあうこと、良い取引相手に出会うこと。学生の方なら、良い先生や友人に恵まれること。是非ご縁や絆の大切さを心に刻んでいただき、古来より信仰の篤い地主神社の神様に縁結びの信心を深めていただきたいと思います。

近年、地主神社のご神徳は海外にも広がり、アジア・欧米を始め世界各地からご参拝をいただいています。日本古来の神様が海外でも理解され、ご信仰いただくことは、非常に意義深いことであり、喜ばしく思います。さらにこの信仰の輪が世界のすみずみまでおよび、世界中の人々がご縁を深め、強い絆で結ばれ、平和で愛に満ちた世の中となりますことを、心より願っています。

続きを読む

令和元年のバックナンバー

令和元年12月 「しまい大国祭」「新年の干支 子」「大祓祭」

 令和最初の年の瀬となりました。本年も多くの方々にご参拝いただきました。
 地主神社ではこの一年のご利益を感謝し、来る年の開運招福を願う「しまい大国祭」を12月1日に執り行います。
 この日から来年の干支「子(ね)」のエト絵馬(500円)の授与も開始いたしますので、ぜひご参拝いただき、来年の福をご祈願くださいませ。

 ねずみといえば、地主神社がお祀りしている大国主神の窮地を救ったといわれています。日本最古の歴史書『古事記』には、野火に囲まれた大国主神に隠れ場所を教える場面が描かれています。

  出でむ所を知らざる間に、鼠来て云はく、「内はほらほら、外はすぶすぶ」といひき。(古事記)
  ([大国主命が野火から]出られずにいると、ねずみが来て「内部はうつろで、外部はすぼんでいる」と言った。)

 中国では火の中に住むねずみがいると想像され、その毛皮は火に焼けないとされました。かぐや姫でおなじみの『竹取物語』では、そんな火ねずみの皮で作った衣も登場します。

  唐土(もろこし)にある火ねずみの皮衣(かはぎぬ)を給へ(竹取物語)
  (中国にあるという火ねずみの皮でつくった衣をください)

 平安時代には、ねずみの鳴き真似をして遊ぶこともあったようです。

  すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。(枕草子)
  ([人が]ねずみの鳴きまねをすると、すずめの子が踊るようにやってくる[のも、かわいらしい])

 「寝ず身」や「根積み」とも言われ、働き者で繁栄の縁起物ともされるねずみにあやかり、来年も元気で過ごせますように。
 大みそかの12月31日には、1年間の心身のお祓いをする「大祓祭」の神事を執り行います。ぜひご参拝いただき、心も新たに良いお年をお迎えくださいませ。おしあわせに。

令和元年11月「勤労感謝の日」「新嘗祭」「もみじ祭り」

 11月23日は「勤労感謝の日」。
 もともとこの日は「新嘗祭(にいなめさい)」といって、新米の収穫を神さまに感謝する日でした。

  天地(あめつち)と相栄(あいさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき(万葉集)
  (天と地とともにいつまでもお栄えになるようにと、新嘗の大宮にお仕えするのは、貴く嬉しいことです)

 また、この日のために選ばれた少女たちが「五節(ごせち)の舞」を舞い、神さまに奉納しました。

  天(あま)つ風(かぜ)雲のかよひぢ吹きとぢよをとめの姿しばしとどゞめむ(古今和歌集)
  (風よ、雲の道を吹き閉ざしておくれ、少女たちの姿をしばらくとどめておきたいから)

 11月23日は、地主神社でも秋の豊作と縁結びのご利益に感謝する「もみじ祭り」を執り行い、紅葉を手にした巫女が神さまに舞を奉納いたします。

  故郷(ふるさと)の初(はつ)黄葉(もみちば)を手折(たを)り持ち今日ぞ我が来(こ)し見ぬ人のため(万葉集)
  (ふるさとで初めて色づいたもみじの葉を持ってきました。まだ見ていない人のために)

 地主神社の境内のある蓬莱山は古くから紅葉の名所としても知られます。山の紅葉が風に舞う頃には、木枯らしが冬の訪れを告げていることでしょう。
  故郷(ふるさと)は散るもみぢ葉にうづもれて軒のしのぶに秋風ぞ吹く(新古今集)
  (ふるさとの家は散る紅葉に埋もれて、軒に生い茂った草に秋風が吹く)

 錦秋の古都・京都も、朝夕はぐっと冷え込んでまいります。「もみじ祭り」では、「お火焚(ひたき)の神事」も執り行い、健康・病気回復もご祈願いたします。ぜひご祈願いただき、これからの季節を健やかにお過ごしくださいませ。おしあわせに。

令和元年10月「神無月」「相撲」「新米」「新酒」

 スポーツの秋、収穫の秋。さまざまな秋を心待ちにする季節となりました。

 10月第2月曜日は、体育の日。
 『古事記』には、日本古来のスポーツである相撲のように神さまが手を取り合い、力くらべをする場面が描かれています。

  然らば力競べせむ。かれ我まづその御手をとらむ(古事記)
  (さあ、力くらべをしよう。わたしが先にその手を取ろう)

 優勝した力士は大きな盃で祝杯をあげますが、お酒はもともと神さまに捧げる神聖なものでした。
 『万葉集』には、神さまのために末永くお酒をお造りしたいという思いを詠んだ歌も収められています。

  天地(あめつち)と久しきまでに万代(よろづよ)に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)を(万葉集)
  (天地とともに永久にいつまでもお造り申し上げましょう、〈神さまにお供えする〉黒酒・白酒を)

 10月は、収穫した新米で新酒を造り始める季節でもあります。10月の別名を神無月(かんなづき)というのは、お酒を醸(か)み成(な)す月として「醸成月(かんなづき)」と呼んだのが始まりとする説もあるそうです。
 『古事記』には、歌い踊りながら造ったお酒をほめたたえる歌も収められています。

  歌ひつつ 醸みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも(古事記)
  (歌いながら造ったためか、踊りながら造ったためか[不思議に楽しいお酒です])

 神さまはにぎやかなことがお好きですので、地主神社にも大きな銅鑼(ドラ)をしつらえた祈願所があります。三度軽く打つとその響きとともに良縁や開運招福など、お願い事が神さまに伝わるというものです。

 空気が澄みわたる秋のひととき、秋の京都散策の折にはぜひ地主神社にお立ち寄りいただき、ご健康と良縁をご祈願くださいませ。おしあわせに。

令和元年9月 「重陽」「菊」「敬老祭」「秋分の日」

 9月9日は、「重陽」の節句。菊の花を浮かべたお酒をいただき、不老長寿を願う日です。

  重陽の宴とて、酒に菊を入れて(曽我物語)
  (重陽の宴ということで酒に菊の花を入れて)

 中国では、菊の葉の露を飲んで仙人になったという伝説があり、これが重陽の節句のもととなったとされています。

  菊の葉に置ける露、(中略)霊薬とぞなりにける。(中略)これを飲むに(中略)仙人となりにけり。(太平記)
  (菊の葉に宿った露が(中略)霊薬となった。(中略)この水を飲んだところ、(中略)仙人となった)

 日本でも、菊の清水を口にする人は長命であったという話が伝えられています。

  菊花山あり、流るる水菊を洗う、その水を飲む人、いのち鶴のごとし(甲斐国風土記)
  (菊の花の山があり、菊に触れた湧水を飲む人は、鶴のように長命であった)

 9月16日は、「敬老の日」。今も昔も、いつまでも健やかで健康でありたいと願う人の心は変わりのないものです。
 数万年前に京都盆地が湖となっていた頃から、地主神社の境内地は陸地となっており、不老長寿の霊山として信仰を集めていたと伝えられ、長寿の守り神である大田大神さまもお祀りされています。
 「敬老の日」には長寿と健康を願う「敬老祭」を執り行い、70歳以上の方には「長寿箸」「開運こづち」を授与いたしますので、ぜひご参拝くださいませ。

 やがて9月23日の「秋分の日」を過ぎると夜が少しずつ長くなり、秋らしい趣も深まってゆきます。

  露ながら折りてかざさむ菊の花おいせぬ秋のひさしかるべく(古今和歌集)
  (露をつけたまま手折って髪に挿そう、菊の花を。長寿の秋が末長く続くように)

 秋の京都散策の折には、ぜひ地主神社にお立ち寄りただき、ご長寿とご健康をご祈願くださいませ。おしあわせに。

令和元年8月 「えんむすび地主祭り」「言霊」「立秋」「処暑」

 夏草の生い茂る季節となりました。『万葉集』では、刈り尽くせないほどの夏草を、募る恋心にたとえた歌も詠まれています。

  このころの恋の繁けく夏草の刈り払(はら)へども生(お)ひしくごとし(万葉集)
  (この頃の恋心の絶え間ないことといったら、夏草を刈り払ってもすぐ生い茂るようなものだ)

 なにかと忙しい夏、ときにはほっと一息つくひとときも大切にしたいものです。

 地主神社では8月4日に「えんむすび地主祭り」を執り行い、心身を清めるお祓いをし、良縁成就・開運招福を祈願いたします。
 ご祈願の際には、神さまに幸せを願って唱える祝詞(のりと)を奏上します。ことばには、古くから「言霊(ことだま)」という不思議な力が宿ると信じられてきました。

  日本(やまと)の国は(中略)言霊のさきはふ国と(万葉集)
  (日本は、(中略)言霊の力で幸せになる国です)

 ぜひご参拝いただき、この夏もすこやかにお過ごしくださいませ。

 8月8日は立秋、早いもので暦のうえではもう秋です。

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今和歌集)
  (「秋が来た」と目にははっきり見えないけれど、風の音にそう感じずにはいられない)

 8月23日は処暑、暑さもやわらぐとされる頃です。
 やがて夕暮れどき、草陰から小さな虫の声も聞こえてくることでしょう。

  庭草に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
  (庭草に通り雨が降り、コオロギの鳴く声を聞くと、秋らしくなったことだ)

 夏から秋へ、地主神社の境内はいつもすがすがしい気が満ちています。ゆく夏を惜しむひとときを、ぜひ地主神社でお過ごしくださいませ。おしあわせに。

令和元年7月 「七夕祭」「七夕こけし」「海の日」「恋占いの石」

 7月7日は七夕。一年に一度、天の川で織姫と彦星が出会うとされる日です。
 この伝説は中国から伝わりましたが、日本でも昔から、天上には美しい布を織る女性がいるとされてきました。

  天(あめ)なるや弟棚機(おとたなばた)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)(古事記)
  (空の上で機(はた)を織るという若い女性が首にかけている首飾りの玉よ)

 逢瀬を心待ちにする織姫の心を詠んだ歌も、『万葉集』に収められています

  いにしへゆ織りてし服(はた)をこの夕(ゆうべ)衣(ころも)に縫ひて君待つ我れを(万葉集)
  (ずっと織り続けてきた布を、今夜は着物に縫ってあなたを待っています)

 万葉の頃には七夕の宴が催され、ゆかりの歌を披露し合いました。こうした習わしから、7月を「文月」と呼ぶようになったともいわれます。

  文月や六日も常の夜には似ず(芭蕉)
  (7月も七夕の前日となると、いつもの夜とは違うようだ)

 地主神社でも、7月7日には、恋愛成就 七夕祭を執り行います。祈願短冊「七夕こけし」にご自身とお相手のお名前を書き添え、本殿の両脇にしつらえた大笹に結わえてご祈願ください。ご縁を授かりたい方のイメージをお書きいただくこともできますので、お相手を探しておられる方もぜひご祈願くださいませ。

 七夕祭が過ぎると、7月15日は「海の日」。四方を海に囲まれた日本では、古くから海に心を寄せてきました。

  海(わた)の底(そこ)奥(おき)を深めて我(あ)が思(も)へる君には逢はむ年は経(へ)ぬとも(万葉集)
  (海の底のように心の奥深く思っているあなたには、何年たっても会いたい)

 縄文時代には京都盆地は湖の底にありましたが、地主神社のあたりは陸地であったと伝えられます
。  そんな縄文時代の遺物とされるのが「恋占いの石」です。太古の昔からご縁を見守ってきた地主神社で、どうぞこの夏も良縁をご祈願くださいませ。おしあわせに。

令和元年6月 「夏越しの大祓」「茅の輪」「人形祓い」

ひと雨ごとに夏草の緑が濃くなる季節となりました。
 『万葉集』では、天上に生い茂るチガヤを刈る歌も詠まれています。

  天(あめ)なるやささらの小野に茅萱(ちがや)刈り萱(かや)刈りばかに鶉(うづら)を立つも(万葉集)
  (天上の野原でチガヤを刈っていると、足もとからウズラが飛び立った)

 昔からチガヤは神事に用いる神聖な草とされてきました。このチガヤを編んで大きな輪を作り、その中をくぐってお祓いをする神事が「夏越(なごし)の祓(はらえ)」です。

  水無月の夏越の祓へする人は千歳(ちとせ)の命延ぶといふなり(拾遺和歌集)
  (夏越しの祓いをする人は、寿命が千年も延びるというそうだ)

 地主神社でも6月30日には「夏越しの大祓祭」を執り行います。境内にしつらえた約2mの茅の輪の中を3度くぐり、これまで半年間のけがれを祓うとともに、これから半年の無病息災をご祈願ください。

  母の分んも一つ潜るちのわ哉(小林一茶)
  (母の分としてもう一度くぐる茅の輪であることよ)

 この茅の輪は、地主神社の祭神である素戔鳴命(すさのおのみこと)が、旅先で宿を借りたお礼として宿の主人に小さな茅の輪を授けたのが始まりです。

  茅の輪を以ちて腰に着けたる人は、免れなむ(備後国風土記)
  (茅の輪を腰に着けている人は、病気にかかることはないでしょう)

 また、昔からこの日は紙で作った、小さな人形(ひとがた)にけがれを移してお祓いする「人形祓い」の神事も行われてきました。地主神社でも、古式ゆかしい人形祓いをお受けいただくことができます。

 どうぞ、この夏もお健やかにお過ごしいただき、これからの半年間も充実した毎日を送られますように。おしあわせに。

令和元年5月「例大祭 地主祭り(神幸祭)」「子どもの日」「薬狩」「菖蒲」

天皇陛下の御即位を奉祝いたします。

 5月5日は子どもの日。『万葉集』では、子どもを「宝」と称える歌が詠まれています。
  銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(万葉集)
  (どんな金銀宝石よりも、子どもに勝る宝はない)

 昔はこの日は「薬狩(くすりがり)」の日とされ、ショウブやヨモギなどの薬草を採る日でした。

  五月の五日に、(中略)薬猟(くすりがり)す。(日本書紀)
  (5月5日に薬狩をする)

 香り高いショウブは邪気を払うとされ、葉を髪に巻き付けることもあったようです。

  ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ(万葉集)
  (ほととぎすよ、しょうぶのかずらを作る5月5日には、ここを鳴いて渡っておくれ)

 地主神社でも末長い健康と家内安全などを願い、5月5日に「例大祭 地主祭り(神幸祭)」を執り行います。
 約千年前に天皇の勅命により行われた臨時祭を起源とするもので、こうした由緒のある例大祭はまれです。
 江戸時代には、その賑わいを讃えた句も詠まれました。

  宗盛も車にみゆれ地主祭り(紫暁)
  ([かつて地主桜を愛でたという]平宗盛も車で現れるよ、地主祭りに)

 そして、5月第2日曜日は「母の日」。『万葉集』には、母や父への思いを詠んだ歌も収められています。

  忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母(ちちはは)は忘れせのかも(万葉集)
  (忘れようとして、野山を越えて来たけれど、父と母は忘れられないものだなあ)

 どうぞ、令和元年、春の京都散策の折にはぜひ地主神社をご参拝いただき、この佳き年のご健康や厄除けをご祈願くださいませ。おしあわせに。
宮司の言葉 バックナンバー