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宮司の言葉

地主神社は社殿修復⼯事のため、
閉⾨しています。
(工期約3年)

受け付けました「縁むすび特別祈願」は、
神官が毎⽇ご祈願しております。
郵送で受付中

宮司の言葉

日本で古くから信仰されてきた神さまは、太陽や山、森、木々など宇宙・世界・森羅万象に宿るとされ、八百万(やおよおよろず;非常に数が多いこと)の神ともいわれます。お米などの収穫を得るにも、日の光や雨が降ることでもたらされる水が必要なように、私たちは自然の恵み無しには、一日も生きていくことができません。科学がどんなに進歩し、社会や生活環境が激変しても、変わることのない真理といえるでしょう。古代の人々も日々の営みのなかで自然の大いなる力を感じ取り、自然への畏敬や信仰の念を持ったのです。農耕の技術や知識が発達していない古代においては、日々の糧を得るのも非常に困難であり、それだけに神様への切実な願い事は、豊作や豊漁であったことでしょう。さらには、人の命を後世へとつなぐ子孫繁栄は、いっそう大きな願いごとだったにちがいありません。日本で最も古くからお祀りされた神、原初の神々は、こうした願いをかなえる神であり、人や作物といった生命を産み出し、繁栄をもたらす神でした。また生命の誕生には2つのものを出会わせ結びつけることが必要です。そのため原初の神は、結びの神でもあったのです。

地主神社の神様は、日本でも非常に古くから祀られた古層の神、原初の神です。京都盆地は、大昔には湖に沈んでいた時代もありましたが、地主神社の境内地は、島のように陸地となっており、「蓬莱山」と呼ばれ不老長寿の霊山として信仰されていたと伝わっています。ご本殿前の「恋占いの石」も近年の研究で縄文時代の遺物とされています。こうした最古の歴史を持つ地主神社の神に古代の人々がささげた祈りは、やはり強いご霊力で命を産み出していただくこと、豊作や子孫の繁栄であったことでしょう。子孫繁栄には男女を巡り合わせ結びつけねばなりません。ですから原初の神である地主神社の神様は、縁をとりもつ結びの神、縁結びの神でもあったのです。

現代の皆様の願い事は、受験合格や商売繁盛、健康長寿など様々おありかと思います。しかしどんな願いごとよりも、まずはお一人お一人が命を授かること、この世に生をお受けになることが大前提ではないでしょうか?命を産み出し、命を授かるには、人と人との結びつきが不可欠であり、そう考えますと、どのお願いごとよりまず最初のお願いごとは、人と人との縁、つまりは出会いや絆であり、古代の人々と同様に「縁結び」ということになります。また男女の縁に限らず、私たちが幸福をえるには、日々良いご縁を授からねばなりません。仕事であれば、良い上司に巡りあうこと、良い取引相手に出会うこと。学生の方なら、良い先生や友人に恵まれること。是非ご縁や絆の大切さを心に刻んでいただき、古来より信仰の篤い地主神社の神様に縁結びの信心を深めていただきたいと思います。

近年、地主神社のご神徳は海外にも広がり、アジア・欧米を始め世界各地からご参拝をいただいています。日本古来の神様が海外でも理解され、ご信仰いただくことは、非常に意義深いことであり、喜ばしく思います。さらにこの信仰の輪が世界のすみずみまでおよび、世界中の人々がご縁を深め、強い絆で結ばれ、平和で愛に満ちた世の中となりますことを、心より願っています。

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令和2年のバックナンバー

令和2年12月 「新年の干支 丑(うし)」「干支絵馬」「牛車」

 今年も残りわずかとなりました。
 めまぐるしく駆け抜けた子(ね)年の令和2年から、どっしりと立ち向かう丑(うし)年の令和3年へ。

 地主神社では12月6日(日)より新年の干支である「うし」の絵馬を授与いたします。
 ご希望の方には郵送でもお授けいたしますので、ぜひお申し込みくださいませ。

 力強く温厚な牛は、昔から荷運びや耕作を助けてくれる心強い仲間でした。
 『古事記』には、牛の背に食物を載せて山中の田へ働きに出る場面も描かれています。

  耕人(たひと)等(ら)の飲食(くらひもの)を、一つの牛に負(おほ)せて(古事記)
  (田を耕す人たちの飲食物を一頭の牛の背に負わせて)

 平安時代には、華やかな車を仕立てて牛に引かせる牛車(ぎっしゃ)が盛んになりました。
 『源氏物語』には、牛車に乗って京の都から宇治へと出かける際、途中で交代する牛を用意したことも語られています。

  牛などひきかふべき心まうけしたまへりけり(源氏物語)
  ([遠出になるので]途中で牛を替える用意もしておられたのだった)

 何かと頼りになる牛は、大きければ大きいほど安心されたのでしょうか、『枕草子』では大きな方がよいものの一つとして牛が挙げられています。

  大きにてよきもの。家。餌袋(ゑぶくろ)。法師(ほふし)。くだ物(もの)。牛(枕草子)
  (大きいほうがよいもの。家。弁当を入れる袋。法師。果物。牛)

 来たる令和3年も大きな心で力を寄せ合い、一歩ずつじっくり進んでまいりましょう。
 なにかと忙しい年の瀬は、よく食べ、よく眠る時間も大切にしたいものです。

  喰ふて寝て牛にならばや桃の花(与謝蕪村)
  (食べて寝て牛になりたいものだ、桃の花の下で)

 どうぞおからだにお気をつけて、良いお年をお迎えくださいませ。来る年も素晴らしいご縁をお授かりいただけますように。おしあわせに。

令和2年11月「古典の日」「勤労感謝の日」「新嘗祭」「紅葉」

 11月1日は「古典の日」。西暦1008年のこの日、『源氏物語』に関するやりとりが『紫式部日記』にあることが由来です。

「このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」と、うかがひたまふ。源氏に似るべき人も見へたまはぬに」(紫式部日記)
(ある人が「この辺に若紫[=『源氏物語』の登場人物]はおられますか」と[『源氏物語』の作者である私に]お尋ねになる。源氏の君に似た方もおられないのに)

 当時の紫式部は宮仕えをして働いていましたが、『源氏物語』は勤め先で話題になるほど評判を呼んでいたようです。

 働くといえば、11月23日は「勤労感謝の日」。もともとこの日は「新嘗祭(にいなめさい)」といって、新米の収穫を神さまに感謝する日でした。

  天地(あめつち)と相栄(あいさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき(万葉集)
  (天と地とともにいつまでもお栄えになるようにと、新嘗の大宮にお仕えするのは、貴く嬉しいことです)

 『源氏物語』には、「五節(ごせち)の舞」という舞を神さまに奉納する場面が描かれています。

  ことし、五節たてまつり給ふ。(源氏物語)
  (今年も五節の舞を奉納される)

 地主神社でも11月23日には秋の豊作と縁結びのご利益に感謝し、紅葉を手にした巫女が神さまに舞を奉納いたします。

  経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず娘子(をとめ)らが織るもみち葉に霜な降りそね(万葉集)
  (縦糸も横糸もなく乙女らが織る紅葉の錦に、霜よ降らないで)

 十一月を霜月といいますが、錦秋の古都・京都も、朝夕はぐっと冷え込んでまいります。

 地主神社では、今月も縁結びや開運招福のご祈願を郵送にてお受け付けしています。希望される方は、どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。お守りも郵送にてお授けいたします。
 秋から冬へ、移りゆく季節をどうぞお健やかにお過ごしいただけますように。おしあわせに。

令和2年10月「中秋の名月」「寒露」「稲穂」

 秋風の心地よい季節となりました。

  秋風は涼しくなりぬ馬並(な)めていざ野に行(ゆ)かな萩の花見に(万葉集)
  (秋風が涼しくなった。馬を並べて野に行こう、萩の花を見に)

 10月1日は、中秋の名月。夜空に大きく輝く月は、電灯のなかった昔は今以上に明るく感じられたことでしょう。

  月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山きへなりて遠からなくに(万葉集)
  (月の光をたよりに来てください、山に隔てられて遠いわけでもありませんのに)

 「月読」は月の神さまのことで、地主神社でおまつりしている神さまの一人であられる素戔嗚尊(すさのおのみこと)のきょうだいにあたります。

 昔の人は満月の表面に浮かぶ模様をウサギが餅つきをする姿に見立てました。
 ウサギといえば『古事記』には傷を負ったウサギが登場し、地主神社の主祭神であられる大国主命(おおくにぬしのみこと)が治し方を教えられたというお話が収められています。

  そのうさぎに教へて告(の)りたまはく(古事記)
  (そのウサギに教えて仰せられるには)

 このお話は地主神社のホームページ「神様の絵本」でもご紹介していますので、ぜひご覧ください。

 10月8日は、寒露。野では秋草が露を結び、秋が深まり始めるとされる頃です。

  秋の穂をしのに押しなべ置く露の消(け)かもしなまし恋(こ)ひつつあらずは(万葉集)
  (秋の稲穂を押し付けている露のように消えてしまいたい、恋に苦しみ続けるくらいなら)

 地主神社では、今日も全国から寄せられるご祈願のご希望にお応えし、神さまを讃える祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。ご祈願を希望される方は、どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。お守りも郵送にてお授けいたします。

  稲刈れば小草(をぐさ)に秋の日のあたる(蕪村)
  (稲刈りをして広々とした田のほとりで、小さい草に秋の日があたっている)

 どうぞこの秋もおすこやかに、すばらしいご縁をお授かりいただけますように。おしあわせに。

令和2年9月 「重陽」「菊酒」「嵯峨天皇」「敬老の日」「聖徳太子」

 9月の「9」は一桁の奇数の最大ですが、中国では昔から奇数は陽数といって縁起がよいとされ、特に1から9までの陽数はおめでたい数字でした。最大の陽数である「9」が二つ重なる9月9日を「重陽」といい、菊の花を浮かべた菊酒をいただいて邪気を祓いました。
 その風習は日本にも伝わり、平安時代には地主神社に伝わる地主桜を愛でられた嵯峨天皇も重陽の宴を催されて詩を詠んでおられます。

  独(ひと)り菊酒(きくしゅ)を携(たづさ)へて 情素(じょうそ)を攄(の)ぶ(経国集)
  (ひとり菊酒を手にして、しみじみと菊を愛でている)

 草や木が枯れゆく秋に花開く菊は不老長寿の霊花として尊ばれ、菊の葉の露を飲んで仙人になったという伝説もありす。

  菊の葉に置ける露、(中略)これを飲むに(中略)仙人となりにけり。(太平記)
  (菊の葉に宿った露(中略)を飲んだところ、(中略)仙人となった)

 不老不死の仙人が住む山を「蓬莱山(ほうらいさん)」といい、東の海の彼方にあると信じられました。

  東(ひんがし)の海に蓬萊(ほうらい)といふ山あるなり。(竹取物語)
  (東の海に蓬萊という山があるということです)

 京の都の東の山にある地主神社の境内地も古くから「蓬莱山」と呼ばれ、不老長寿の霊山として信仰を集めてきたと伝えられます。

 9月21日は「敬老の日」。この日は、聖徳太子が病人や年老いた人を救護するための悲田院(ひでんいん)を設立したとされる日にちなむそうです。聖徳太子といえば、多くの人の声に耳を傾けたことでも知られます。

  一(ひとたび)に十人(とたり)の訴(うたへ)を聞きて、失(あやまた)ず(日本書紀)
  (一度に十人の訴えを聞いても間違えず)

 地主神社でも全国から寄せられるご祈願のご希望にお応えし、日々神さまを讃える祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。ご祈願を希望される方は、どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。お守りも郵送にてお授けいたします。

  物皆は新(あらた)しき良しただしくも人は古(ふ)りにし宜(よろ)しかるべし(万葉集)
  (物は何でも新しいのがよいけれど、人だけは年を経た人の方がよいはずです)

 どうぞこの秋もおすこやかに、ご長寿であられますように。おしあわせに。

令和2年8月 「えんむすび地主祭り」「立秋」「言霊」

 夏空にヒマワリが映える季節となりました。太陽に向かって咲くヒマワリの姿は、『万葉集』の昔から注目されていたようです。

  徳を仰ぐ心は、葵藿(きくわく)に同じ(万葉集)
  ([私があなたの]徳を仰ぐ心は、ひまわりが太陽の動きについて回るのと同じです)

 『新古今和歌集』では、夏の朝のひとときだけ開く朝顔のはかなさを詠んだ歌も収められています。

  山賤(やまがつ)の垣(かき)ほに咲ける朝顔はしののめならで逢(あ)ふよしもなし(新古今和歌集)
  (山中にある家の垣根に咲いている朝顔は、明け方でないと見ることもできない)

 8月7日は立秋。まだまだ暑い日が続きますが、暦の上ではもう秋です。

  時の花いやめづらしもかくしこそ見し明(あきら)めめ秋立つごとに(万葉集)
  (季節の花は見るほどに心がひかれます、このように見て気晴らしをなさいませ、秋が来るたびに)

 地主神社でも折節に神さまを讃える祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。ことばには、「言霊(ことだま)」という不思議な力が宿ると古くから信じられてきました。

  日本(やまと)の国は言霊のさきはふ国ぞ(万葉集)
  (日本は、言霊が栄えて幸福になる国です)

 ご祈願を希望される方は、どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。申込書が地主神社に届いた日から、神官が皆さまに代わってご祈願をはじめます。お守りも郵送にてお授けいたします。

 8月23日は処暑、暑さも少しずつやわらぎ始める頃です。

  庭草に村雨(むらさめ)ふりて蟋蟀(こほろぎ)の鳴く声聞けば秋づきにけり(万葉集)
  (にわか雨が降り、庭草からコオロギの鳴く声が聞こえると、秋だなあと思う)

 どうぞこの夏もおすこやかに、素晴らしいご縁にめぐり逢われますように。おしあわせに。

令和2年7月 「七夕」「土用の丑の日」「縁結び特別祈願」

 新型コロナウイルスの感染対策からはじまった新しい生活様式により、大切な人と逢うことを控えておられる方も多いことでしょう。
 7月7日は、七夕。『万葉集』には、一年に一度しか会えない織姫と彦星の胸の内に思いを寄せた歌が多く詠まれています。

  風雲(かぜくも)は二つの岸に通(かよ)へどもわが遠妻(とほづま)の言(こと)そ通(かよ)はぬ(万葉集)
  (風や雲は天の川の両岸を行き通うけれど、遠くにいる私の妻の言葉は通わない)

 メールやビデオ通話のなかった昔、織姫と彦星の辛抱は並大抵ではなかったことでしょう。

  よく渡る人は年にもありとふを何時(いつ)の間(ま)にそもわが恋ひにける(万葉集)
  (よく耐える人は(彦星のように)一年も逢わずにいられるのに、いつの間に私はこんなに恋しくなったのだろう)

 7月21日は土用の丑の日。心も体もたっぷりビタミンを補給して、この夏ものりきりたいものです。

  石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(うなぎ)捕り喫(め)せ(万葉集)
  (石麻呂さんに申し上げます、夏やせによいといううなぎを食べてください)

 離れているからこそ互いに絆を高めあおうという歌も『万葉集』には収められています。

  白(しろ)たへの我が衣手(ころもで)を取り持ちて斎(いは)へ我が背子(せこ)直(ただ)に逢(あ)ふまでに(万葉集)
  (美しく白い私の衣を手に持ってつつしんでいてください、私の大切な人。二人がじかに逢えるまで)

 地主神社では、今日も全国から郵送で寄せられる「縁むすび特別祈願」にて良縁をご祈願しています。また、お守りも郵送にてお授けしています。どうぞ皆さまに、より良きご縁が訪れますように。おしあわせに。

令和2年6月 「梅雨」「父の日」「茅の輪」「夏越しの大祓」

梅雨入りの季節となりました。『万葉集』では、雨の日は大切な人と過ごしたいと願う歌も詠まれています。

  ひさかたの雨も降らぬか雨(あま)つつみ君にたぐひてこの日暮らさむ(万葉集)
  (雨が降ったらいいのになあ、雨に包まれてあなたと一日一緒にいよう)

 6月21日は、父の日。『万葉集』では、ふるさとの裏庭を彩る草花に寄せて、父と母の長寿を願う歌も詠まれました。

 父母(ちちはは)が殿の後(しりへ)のももよ草百代(ももよ)いでませ我が来(きた)るまで(万葉集)
(父も母も裏庭の“ももよ草”のように百代もお元気でいてください、私が帰るまで)

 これから夏に向かって草も木も、恵みの雨を受けて生き生きと生い茂っていきます。中でもチガヤという草は、昔から神事に用いる神聖な草でした。

 地主神社の祭神である素戔鳴命(すさのおのみこと)もチガヤで小さな茅の輪を作り、旅先の宿の主人に疫病よけのお守りとしてお授けになりました。

  茅の輪を以ちて腰に着けたる人は、免れなむ(備後国風土記)
  (茅の輪を腰に着けている人は、病気にかかることはないでしょう)

 そんな神聖なチガヤで「茅の輪」という大きな輪を作り、その中をくぐってお祓いをする神事が「夏越(なごし)の祓(はらえ)」です。

  水無月の夏越の祓へする人は千歳(ちとせ)の命延ぶといふなり(拾遺和歌集)
  (夏越しの祓いをする人は、寿命が千年も延びるというそうだ)

 地主神社でも6月30日には「夏越しの大祓祭」を執り行い、この半年間のけがれをお祓いするとともに、これからの半年間のご健康と厄除け開運招福をご祈願いたします。梅雨から夏へ、季節の変わり目もどうぞお健やかに過ごされますように。おしあわせに。

令和2年5月「立夏」「端午の節句」「薬狩」「小満」

 新緑の鮮やかな季節となりました。5月5日は「立夏」、暦の上ではもう夏です。

 5月5日を「端午の節句」といいますが、「端午」は「最初の午(うま)の日」という意味で、中国では「午」は「五」を意味することから、5が2つ重なるおめでたい日とされました。

 日本では「薬狩(くすりがり)」といって、ショウブやヨモギなどの香り高い草や薬草を摘む風習があり、『日本書紀』には奈良時代に推古天皇が奈良の都で薬狩をしたと記されています。

  十九年の夏五月の五日に、菟田野(うだの)に薬猟(くすりがり)す。(日本書紀)
  (推古19年の夏、5月5日に、奈良の宇陀野で薬狩をした)

 採取したショウブやヨモギは玉のような形に編んだ薬玉(くすだま)を作り、五色の糸や花を挿して厄除けとしました。『源氏物語』では、美しい薬玉が贈られる場面も描かれています。

  薬玉など、えならぬさまにて、所々より多かり。(源氏物語)
  (美しい薬玉などがあちらこちらから贈られて来る。)

 子どもの成長を願って鯉のぼりをあげるのは、昔、中国で神通力を得た鯉が龍に変身して滝を登ったという「登竜門」の故事にあやかったものです。鯉は昔からその美しい姿も称えられ、『日本書紀』では池に放った鯉を愛でる場面も登場します。

  鯉魚(こひ)を池に浮(はな)ちて、朝夕に臨視(みそなは)して(日本書紀)
  (鯉を池に放ち、朝に夕に眺めて)

 やがて5月20日は「小満」。草木が生長して万物が満ちていく日です。

  屋の内は暗き所なく光みちたり(竹取物語)
  (かぐや姫がいると暗い所がなく、光が満ちあふれた)

 5月の地主神社も花と緑があふれ、清らかな境内を美しく彩ります。どうぞ皆さまもお健やかに過ごされますように。おしあわせに。

令和2年4月 「地主桜」「八重桜」「謡曲」「穀雨」

 春爛漫の季節となりました。地主神社は昔から桜の名所として知られます。

  それ花の名所多しといへども(中略)地主の桜にしくはなし(謡曲「田村」)
  (花の名所は数多くあるけれど、地主の桜に勝るものはない)

 地主神社に伝わる「地主桜」は、一本の木に八重と一重の花が同時に咲くという珍しい桜で、平安時代の嵯峨天皇はこの桜まで幾度もお車を引き返させ、心ゆくまで愛でられたといいます。その美しさは、謡曲「熊野(ゆや)」でも讃えられています。

  雲かと見えて八重一重、咲く九重の花盛り(謡曲「熊野」)

 桜の開花は、畑仕事を始める合図でもありました。
 4月19日は「穀雨」。この日に種まきをすると春雨が大地を潤し、百穀に実りをもたらすといわれます。

  春雨(はるさめ)は、いたくな降りそ、桜花、いまだ見なくに、散らまく惜しも(万葉集)
  (春雨よ、つよく降らないで。まだ見ていない桜の花が散るのは惜しいから)

 桜を散らす雨も大地にとっては恵みの雨です。都の春はやがて若葉の季節を迎えます。

  春雨や蓬をのばす艸(くさ)の道(松尾芭蕉)
  (春雨が降っているよ、草の道のよもぎを伸ばすように)

 地主神社の境内も、春の草花や樹木が次々と芽吹き、花を開きます。大地に春の恵みが満ちるこの季節、どうぞお健やかに過ごされますように。おしあわせに。

令和2年3月「ひな祭り」「桃の節句」「人形祓い」「啓蟄」

 3月3日のひな祭りは桃の節句ともいわれ、昔から桃の花をいけます。
 美しい花を咲かせ、多くの果実を実らせる桃は子孫繁栄の縁起物でした。『万葉集』には、そんな桃にあやかり恋の成就を願う歌も収められています。

  はしきやし我家(わぎへ)の毛桃(けもも)本(もと)繁(しげ)み花のみ咲きて成らざらめやも(万葉集)
  (わが家の桃はよく茂っているから、この恋もきっと実るだろう)

 その豊かな生命力は邪気を払い、不老長寿をもたらすとされました。平安時代には、三千年に一度だけ実るという伝説の桃に寄せて、長寿を願う歌も詠まれました。

 君がため わが折る花は 春遠く 千歳三度(みたび)を 居(を)りつつぞ咲く(紀貫之)
 (あなたのために手折った桃の花は、春を遠く待ち続けて三千年に一度だけ咲くという桃です)

 ひな人形を飾るのは江戸時代頃からで、もともとは紙を人の形にした人形(ひとがた)にけがれを移し、水に流してお祓いをしました。『源氏物語』にも、光源氏が人形を海へ流す場面が描かれています。

  舟に、ことごとしき人形(ひとがた)のせて流す(源氏物語)
(船に大げさな人形(ひとがた)を乗せて海に流す)

 地主神社でも、古来より伝わる「人形(ひとがた)祓い」をお受けいただけます。ひな祭りにちなみ、ぜひお受けくださいませ。

 3月5日は、啓蟄。冬ごもりをしていた虫たちも地中から出てくる頃です。華やかな蝶も舞い始めることでしょう。

  庭に新蝶(しんちょう)舞い、空に故雁(こがん)帰る(万葉集)
  (庭は春の蝶が舞い、空は冬を越した雁が帰る)

 地主神社も日ごとに光あふれ、春の花が次々と咲き始めます。ぜひ地主神社で早春の息吹をお楽しみくださいませ。おしあわせに。

令和2年2月 「節分祭」「厄除守」「福豆」「立春」

 早いもので、2月となりました。2月を如月(きさらぎ)というのは、草木が育ち始めるという意味の「生更(きさら)ぎ」に由来するともいわれます。
 『源氏物語』にも、2月に花が咲き始める様子が描かれています。

  二月になれば、花の木どもの、盛りなるも、まだしきも(源氏物語)
  (2月(きさらぎ)になれば花盛りの木も、まだ蕾の木も)

 2月3日の節分は春から冬の分かれ目とされ、豆などをまいて邪気を払うしきたりです。
 小さな一粒から大きな実りをもたらす豆は昔から五穀の一つに数えられ、『古事記』では神さまのおからだから豆が生まれる場面も描かれました。

  鼻に小豆生(な)り、(中略)尻に大豆(まめ)生りき。(古事記)
  (鼻に小豆ができ、(中略)尻に豆ができた)

 地主神社でも2月3日に「節分祭」を執り行い、福豆をまいて厄除け・開運招福・病気回復を祈願いたします。厄除守や福豆(1袋500円)も授与いたしますので、ぜひご参拝ください。

 節分の翌日は立春。暦の上ではもう春です。

  袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん(古今集)
  (夏に袖を濡らしてすくった水が冬の間は凍っていたのを、立春の今日の風がとかすことでしょう)

 とはいえ、まだまだ寒い日も続きます。2月の異称の如月には、衣を重ねる「衣更着(きさらぎ)」という意味もあるそうです。

  裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐哉(かな)(松尾芭蕉)
  (先達にならって裸になろうとしたものの二月は寒く、衣を重ねたいほどだ)

 これから少しずつ日が長くなり、日差しも明るくなってゆくことでしょう。早春の京都散策の折にはぜひ地主神社にお立ち寄りいただき、心身ともに健やかに心温まる春をお迎えくださいませ。おしあわせに。

令和2年正月 「えんむすび初大国祭」「初詣」「初夢」「子」

 あけましておめでとうございます。

 元旦は早起きして初日の出を拝み、心を新たにするという方もおられることでしょう。ところが、江戸時代の俳人・松尾芭蕉は、どうやら二日目に拝むことにしたようです。

  二日にもぬかりはせじな花の春(芭蕉)
  (二日こそぬかりなく日の出を拝んで初春を祝おう)

 「一年の計は元旦にあり」といいますが、三が日ものんびりしているとあっという間です。今年の干支は子(ね)。令和の典拠となった『万葉集』では、すぎゆく日々の早さが2匹のねずみにたとえられています。

  二つのネズミ競(きほ)ひ走り、(万葉集)
  ([昼と夜は]二匹のねずみが競走するかのように去りゆき)

 この一年でかなえたい夢を初夢で占うときは、七福神が乗った宝船の絵を枕の下に敷いて眠ると良いそうです。絵にはこんな和歌を添えておくと良い初夢が見られるといわれます。

  長き世のとをの眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな
  (長い夜を眠りについている皆が目覚めてしまうほど、進みゆく船の波音の心地よさよ)

 七福神の一人である大黒さまのお使いはねずみとされ、お正月の三が日は「嫁が君」と呼んで縁起をかつぎます。

  餅花やかざしにさせる嫁が君(松尾芭蕉)
  (「嫁が君」と呼ばれる正月のねずみは、餅団子を枝に飾った餅花の下から頭を出して、まるで飾りにしているようだ)

 地主神社でも、元旦から三が日は「えんむすび初大国祭」を執り行い、ご参拝いただきました皆様に「開運こづち」を無料にてお授けいたします。
 どうぞ、本年もぜひ地主神社で素晴らしいご縁をお授かりいただき、お健やかに一年をおすごしくださいませ。おしあわせに。
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