令和6年11月 「立冬」「時雨」「紅葉」「小雪」
11月7日は立冬です。立冬は「冬立つ」ともいいますが、この「立つ」は「始まる」という意味で、暦の上ではこの日から冬が始まります。
今日(けふ)ぞ冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて(源氏物語)
(今日は冬の立つ日(立冬)であったが、その日にふさわしく時雨(しぐれ)が降って)
立冬の頃に降ったりやんだりするにわか雨を「時雨」といいます。
江戸時代の俳人・松尾芭蕉は時雨の俳句を多く詠み、時雨の頃に没したことから芭蕉忌は時雨忌とも呼ばれます。時雨忌は旧暦の10月12日、新暦では11月12日です。
旅人と我が名呼ばれん初時雨(松尾芭蕉)
(初時雨とともにいち早く旅に出て、時雨のようにとりとめのない我が身を「旅人」という名で呼ばれたいものだ)
11月は紅葉がいっそう深まる季節でもあります。紅葉のことを「もみじ」といいますが、昔は紅葉することを「もみづ」といいました。
しぐれつつもみづるよりも言(こと)の葉(は)の心の秋にあふぞわびしき(古今和歌集)
(時雨のなかで紅葉して色を変える「木の葉」よりも、あの人の心に秋(=飽き)が来て変わる「言(こと)の葉(は)」(=言葉)のなんと寂しいことよ)
地主神社は社殿修復工事のため閉門しておりますが、
恋愛成就や家族の健康をねがうお守り、
ご祈願についても郵送で受け付けております。全国から郵送で寄せられるご祈願の一つひとつについて神官がお名前、ご住所、生年月日を読み上げ、神さまに縁結びや開運招福を祈願しております。
11月22日は小雪(しょうせつ)。北国や山沿いでは雪が降り始める頃です。
秋から冬へ、季節の変わり目もどうぞおすこやかに、すばらしいご縁をお授かりいただけますように。おしあわせに。
令和6年10月 「新米」「スポーツの秋」「相撲」「霜降」
新米のおいしい季節になりました。あらためてお米のありがたさを噛みしめる方も多いことでしょう。
奈良時代の歴史書『日本書紀』には、ご飯が食べられずに倒れた人を聖徳太子が救い、歌を詠みかける場面も描かれています。
飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その田人(たひと)あはれ(日本書紀)
(飯に飢えて伏せっている、その人よ)
秋はまた「天高く馬肥ゆる秋」ともいわれますが、どんなにおいしいものも腹八分を心がけたいものです。
鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』には、減量に心をなやませる公卿も登場します。
かくいみじう太るをばいかがせんとする。(宇治拾遺物語)
(このようにたいへん太ってしまうのをどうしたものであろうか)
そして10月14日はスポーツの日。よく食べ、よく動くことは健康長寿のひけつでもあります。
日本古来のスポーツといえば相撲ですが、奈良時代の歴史書である『古事記』には、神様が相撲のように手を取り合って力くらべをする場面も描かれています。
然らば力競べせむ。かれ我まづその御手をとらむ(古事記)
(さあ、力くらべをしよう。わたしが先にその手を取ろう)
やがて10月23日は霜降(そうこう)、そろそろ霜が降り始める季節です。間もなく訪れる冬の寒さを乗り越えるためにも滋養ゆたかな旬の恵みをしっかり味わい、適度に運動もしながら体づくりをしておきたいものです。
地主神社は社殿修復工事のため閉門しておりますが、
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どうぞこの秋もおすこやかに、すばらしいご縁をお授かりいただけますように。おしあわせに。
令和6年9月 「敬老の日」「還暦」「本卦還り」「秋分の日」
9月16日は「敬老の日」。『宇津保物語』には、還暦を祝う宴をどのように執り行おうかと相談する場面も描かれています。
母后の御六十の賀仕まつりたまはむ、(宇津保物語)
(母后の六十歳のお祝いをしてさしあげようとお思いになって、)
還暦は「本卦(ほんけ)還(がえ)り」といって、本卦(=生まれた年の干支)に還(かえ)ることです。赤ちゃんに返って生まれ直すということから、還暦祝いには赤いものを贈るようになったといわれます。
明るく目立つ赤い色は昔から不思議な力があるとされてきました。『浮世物語』には、神社の玉垣や柱を彩る赤色の美しさに感嘆する場面もあります。
朱(あけ)の玉垣(たまがき)も光さしそひ(中略)、社(やしろ)の柱も丹(に)塗(ぬ)りの色赤く照りかかやきて(浮世物語)
(朱塗りの玉垣も光がさし加わり、(中略)、社の柱も朱色の色が赤く照り輝いて)
そして9月22日は「秋分の日」。夜が少しずつ長くなり、秋らしくなってゆきます。
庭草に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり(万葉集)
(庭の草ににわか雨が降り、こおろぎの鳴く声を聞くと、秋らしくなったものだと思う)
地主神社は社殿修復工事のため終日閉門しておりますが、
恋愛成就や家族の健康をねがうお守り、
ご祈願についても郵送で受け付けております。全国から郵送で寄せられるご祈願の一つひとつについて神官がお名前、ご住所、生年月日を読み上げ、神さまに縁結びや開運招福を祈願しております。
残暑厳しき折からどうぞお健やかに過ごされますとともに、皆様に健康へのご縁、幸せへのご縁、新たな出会いのご縁が訪れますように。おしあわせに。
令和6年8月 「立秋」「葉月」「言の葉」「言霊」
暑い日が続きますがお元気でいらっしゃいますでしょうか。
8月7日は「立秋」、早いもので暦の上ではもう秋です。
一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る(淮南子)
(一枚の葉が落ちて秋の訪れを知る)
8月の異称を「葉月(はづき)」というのは、夏の間に生い茂った葉が少しずつ落ち始める「葉落ち月」の略であるともいわれます。
鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思(おも)はなくに(万葉集)
(鴨鳥が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮いているような心で私は思っているのではないのに)
私たちが思いを伝え合う「言葉(ことば)」に「葉」という字を当てるのは、樹木がそれぞれ異なる葉を持つように、人は話すことでそれぞれを知ることができるからだとする説もあるそうです。
やまと歌は人の心を種として、よろづの言(こと)の葉(は)とぞなれりける(古今和歌集・仮名序)
(和歌というものは人の心を種として、多くのさまざまな言葉となったのである)
言葉には「言霊(ことだま)」という不思議な力が宿ると古くから信じられてきました。
やまとの国は言霊のさきはふ国ぞ(万葉集)
(日本は、言霊が栄えて幸福になる国です)
地主神社は社殿修復工事のため終日閉門しておりますが、
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夏から秋へ、残暑厳しき折からどうぞお健やかに過ごされますとともに、素晴らしいご縁が訪れますように。おしあわせに。
令和6年7月 「新紙幣」「三椏」「七夕」「大暑」
7月3日から発行される新紙幣。紙幣には和紙の技術が用いられています。紙が貴重品であった昔は、紙づくりの技術を持つ人も重んじられました。『日本書紀』には曇徴(どんちょう)という僧が紙を作ることができたと記されています。
曇徴は(中略)彩色(さいしき)と紙墨(かみすみ)とを作り(日本書紀)
(曇徴は(中略)絵の具や紙墨を作り)
和紙はミツマタなどの樹木の繊維を漉いて作ります。ミツマタの枝は3つに分かれることから三椏(みつまた)と呼ばれるようになりました。万葉集に登場する三枝(さきくさ)はミツマタであるともいわれます。
春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋(こ)ひそ我妹(わぎも)(万葉集)
(春になると真っ先に咲くサキクサのように無事であれば後にも会えるでしょう、恋しがらないで、愛しい人よ)
7月7日は七夕。織姫と彦星が一年に一度だけ会える日です。万葉集では二人が無事に会えるようにと願う歌も詠まれています。
彦星と織女(たなばたつめ)と今夜(こよひ)逢ふ天(あま)の川門(かはと)に波立つなゆめ(万葉集)
(彦星と織姫が今夜会う天の川の渡り場に、波よ立つなよ、絶対に)
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7月22日は大暑。一年で最も暑いとされる時期です。
夏は、世に知らず暑き。(枕草子)
(夏は、世に例がないほど暑いのがよい)
清少納言は暑さに強かったのでしょうか、現代ではこの夏も例年以上の猛暑といわれます。どうぞお健やかに、夏ばてなどされませんようご自愛くださいませ。皆様のもとにすばらしいご縁が訪れますように。おしあわせに。
令和6年6月 「梅雨」「雲」「水無月」「夏至」
梅雨の季節となりました。雨を降らせるのは雲ですが、『古事記』には家族を守る新居の垣を雲にたとえた歌も詠まれています。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(古事記)
(多くの雲が湧きたつ出雲の地に、その雲のように八重垣を、妻を住まわせるために八重垣を作る、その八重垣よ)
この歌を詠んだのは素戔嗚尊(すさのおのみこと)という神さまで、地主神社の縁結びの神さまであられる大国主命(おおくにぬしのみこと)のお父上であられます。
この季節は田んぼに水を引く季節でもあります。6月の別名を「水無月(みなづき)」というのは「水の月(ミズノツキ)」が転じて「水無月(ミナズキ)」となったともいわれます。
五月雨(さみだれ)の晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風わたるなり(良寛歌集)
(五月雨の晴れ間に外へ出て眺めると青田を涼しげに風が渡っていくのだ)
新暦の6月は旧暦の5月にあたり、昔は梅雨どきの雨を「五月雨」といいました。
やがて6月21日は夏至、一年で最も日の長いときです。
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ(百人一首)
(夏の夜はまだ宵だと思っていたら空が明るくなってしまったが、あの雲のどこに月は宿っているだろう)
地主神社は社殿修復工事のため終日閉門しておりますが、
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梅雨から夏へ、移りゆく季節の中でどうぞお健やかに、素晴らしいご縁が訪れますように。おしあわせに。
令和6年5月 「新茶」「八十八夜」「嵯峨天皇」「薬狩」「立夏」
香りゆたかな新茶が出回る季節となりました。
5月1日は「八十八夜」。立春から数えて88日目に当たるこの時期に摘んだ茶は「一番茶」と呼ばれ、最良の品質とされます。
木(こ)がくれて茶摘みも聞くやほとゝぎす(松尾芭蕉)
(木に見え隠れするように茶を摘んでいた人も聞いただろうか、ホトトギスの声を)
喫茶の文化は中国に始まり、遣唐使によって日本に伝えられました。『日本後紀』には、嵯峨天皇が僧から茶を献上されたという記録も残っています。
大僧都永忠 手自煎茶奉御(日本後紀)
(大僧都の永忠が、自ら茶を煎じ(嵯峨天皇に)奉った)
茶は薬用として重んじられ、『吾妻鏡』では体調をくずした将軍に献上する場面も描かれました。
称良薬 自本寺召進茶一盞(吾妻鏡)
(良薬とされる茶を寺から取り寄せ、一服献上した)
薬といえば5月5日の端午の節句も、もともとは「薬狩(くすりがり)」といって野山で香り高い薬草を摘む日でした。
五月の五日に、(中略)薬猟(くすりがり)す。(日本書紀)
(5月5日に薬狩をする)
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5月5日は「立夏」でもあります。暦の上ではもう夏です。春から夏へ、どうぞ季節の変わり目もお健やかに、皆様のもとに良いご縁が訪れますように。おしあわせに。
令和6年4月 「虹始見」「鏡」「面影」「桜」「光源氏」
空に虹がかかるのを見ると不思議に胸がときめくものです。春は虹を見かけることが増え始める季節。古代中国から伝わった季節の区分法である「二十四節気」では、4月14日を「虹始(はじめて)見(あらわる)」としています。
古来、虹は天と地を結ぶ通路とされてきました。『日本書紀』には虹のたもとで神さまの鏡を見いだす場面も描かれています。
虹の起(た)てる処(ところ)を掘りて、神鏡(みかがみ)を獲(え)(日本書紀)
(虹が出た場所を掘ると神鏡(しんきょう)があり)
見る人の面影を映す鏡は、「面影」の枕詞でもありました。『万葉集』には、愛する人の面影が鏡のように夢に現れることを願う歌も収められています。
里遠み恋ひわびにけり真澄鏡(まそかがみ)面影去らず夢に見えこそ(万葉集)
(あなたのいる里が遠いので恋い悩んでしまった。鏡に映る面影のように私のそばを離れないで、夢に出てきてほしい)
面影といえば『源氏物語』の光源氏は、見初めた人の面影を桜にたとえた歌も詠んでいます。
面影は身をも離れず山桜心のかぎりとめて来(こ)しかど(源氏物語)
(山桜のように美しいあなたの面影が私の身を離れません。私の心は全部そちらに置いてきたのですが)
地主神社には、光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)の父君であられる嵯峨天皇が愛でられたと伝えられる桜がありますが、残念ながら現在は境内にお入りいただけないのでご覧いただくことはできません。
地主神社は社殿修復工事のため終日閉門しておりますが、
恋愛成就や家族の健康をねがうお守り、
ご祈願についても郵送で受け付けております。全国から郵送で寄せられるご祈願の一つひとつについて神官がお名前、ご住所、生年月日を読み上げ、神さまに縁結びや開運招福を祈願しております。
どうぞこの春も皆様に素晴らしいご縁が訪れますように。おしあわせに。
令和6年3月 「ひな祭り」「菱餅」「母子草」「人形(ひとがた)」「春分の日」
3月3日は、ひな祭り。ひな祭りの菱餅(ひしもち)は、もともと菱(ひし)の実を粉にしてついた餅でした。菱は池や沼に菱形の葉を浮かべる水草で、種子は食用となります。
君がため浮沼(うきぬ)の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも(万葉集)
(あなたのために浮沼の池の菱を摘んでいたら、私の染めた袖は濡れてしまいまいました)
また、昔の中国では三月三日に母子草(ははこぐさ)の草餅を食する風習がありました。日本には平安時代に伝わったといわれます。
花の里心も知らず春の野にいろいろ摘めるははこもちゐぞ(和泉式部集)
(花の咲く里の心も知らず、春の野でさまざまに摘んだ母子草でつくった母子餅です)
母子草は別名を御形(ごぎょう)といい、春の七草の一つに数えられます。御形の「形」は紙を人の形に切った「人形(ひとがた)」のことです。昔はこの人形で身体を撫でてから水に流し、心身の安全を祈りました。
舟にことごとしき人形乗せて流すを見給ふに(源氏物語)
(舟に(おはらいをした)大げさな人形を乗せて流すのをご覧になると)
『源氏物語』の光源氏もおはらいをしたというこの紙の人形は、ひな祭りのひな人形の由来ともいわれています。
おひな様を飾ると、やがて3月20日は春分の日。少しずつ昼の時間が長くなっていきます。
地主神社は社殿修復工事のため終日閉門しておりますが、
恋愛成就や家族の健康をねがうお守り、ご祈願についても郵送で受け付けております。全国から郵送で寄せられるご祈願の一つひとつについて神官がお名前、ご住所、生年月日を読み上げ、神さまに縁結びや開運招福を祈願しております。
この春もどうぞ皆様に素晴らしいご縁が結ばれ、お健やかに春をお迎えいただけますように。おしあわせに。
令和6年2月 「閏年」「閏月」「バレンタイン」「カカオ」「立春」
このたびの令和6年の能登半島地震で被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。
1日もはやく元の穏やかな日々を取り戻されますこと、被災地域の復興を心よりお祈り申し上げます。
早いもので今年も2月となりました。
今年は4年に1度の閏年(うるうどし)、2月は29日まである閏月(うるうづき)です。
平安時代に地主神社の地主桜を愛でられた嵯峨天皇は、御製の漢詩の中で閏月について詠まれました。
閏(うるふ)は是(こ)れ 新正(しんせい)の後(のち)
(閏月はお正月の後すぐに来た)
『蜻蛉日記』では、閏月の日にちを恋心になぞらえた歌も詠まれています。
年ごとにあまれば恋ふる君がためうるう月をばおくにやあるらむ(蜻蛉日記)
(年ごとにあなたの恋心が余るので、そんなあなたのために閏月があるのでしょうか)
恋心といえば、2月14日はバレンタインデー。チョコレートの原料であるカカオが実る樹木はアオギリの仲間です。
アオギリは漢名を「梧桐(ごとう)」といい、『万葉集』には梧桐で作った琴が登場します。
梧桐(ごとう)の日本琴(やまとごと)一面(いちめん)
(梧桐の木で作った琴を一面(贈ります))(万葉集)
この琴を贈ったのは「令和」の元号の由来となった「梅花の宴」を催した大伴旅人ですが、ここでいう梧桐は桐であるという説もあります。
桐は木目が美しく、琴や箪笥などの用材として重んじられました。初夏に咲く紫色の花の美しさは『枕草子』でも讃えられています。
桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに(枕草子)
(桐の木の花が紫色に咲いているのは、なんといっても趣があるもので)
桐の花が咲くのはまだ先ですが、2月4日は立春。暦の上ではもう春です。
袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん(古今集)
(夏に袖を濡らしてすくった水が冬の間は凍っていたのを、立春の今日の風がとかすことでしょう)
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ご祈願についても郵送で受け付けております。全国から郵送で寄せられるご祈願の一つひとつについて神官がお名前、ご住所、生年月日を読み上げ、神さまに縁結びや開運招福を祈願しております。
この春も皆様に素晴らしいご縁が結ばれ、お健やかにおすごしいただけますように。おしあわせに。
令和6年1月 「元旦」「あけましておめでとう」「紫式部」「初夢」
あけましておめでとうございます。
元旦は初日の出をご覧になるという方もおられることでしょう。「元旦」の「元」は「始まり」という意味で、「旦」は地上(一)から太陽(日)が現れる姿を表しています。新年の始まりに最初に昇る朝日は、いつもと違ってひときわ清々しいものです。
かくて明けゆく空の気色、昨日に変(かは)りたりとは見えねども、ひきかへめづらしき心地ぞする(徒然草)
(こうして明けてゆく空の様子は昨日と変わっているとは見えないけれど、いつもと違って新鮮な気持ちになる)
新年に交わす挨拶である「あけましておめでとう」の「おめでとう」は、もともと「めでたし」といって、「愛(いと)おしむ」という意味の「愛(め)でる」に、「とても」という意味の「いたし」を付け加えたものでした。平安時代には「立派だ」「素晴らしい」と褒めたたえる表現とされ、紫式部の『源氏物語』では、光源氏が若紫の髪を「めでたい」と讃える場面も描かれています。
こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ(源氏物語)
((若紫の)こぼれかかった髪がつやつやと素晴らしく見える)
昔から、言葉には「言霊(ことだま)」という不思議な力が宿り、よい言葉は幸いを招くと信じられてきました。縁起が良いとされる次のような和歌もあり、この歌を添えた宝船の絵を枕の下に敷いて眠ると良い初夢が見られるそうです。
長き世のとをの眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな
(長い夜を眠りについている皆が目覚めてしまうほど、進みゆく船の波音の心地よさよ)
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本年も皆様に素晴らしいご縁が結ばれ、お健やかに一年をおすごしいただけますように。おしあわせに。