由来と歴史
一願成就の神様「おかげ明神」の後方にあるご神木は「いのり杉」「のろい杉」ともいわれ、江戸時代に女性の間で流行した「丑の刻参り(うしのときまいり)」に使われたという。今も、のろいの願をかけ、五寸釘を打ち込んだ跡が無数に残っている。
どんな願い事も一つだけなら必ず「おかげ(御利益)」がいただけるという一願成就の神様「おかげ明神」。特に女性の守り神として、昔から厚い信仰を集めている。この後方のご神木は「いのり杉」「のろい杉」ともいわれ、江戸時代に女性の間で流行した「丑の刻参り(うしのときまいり)」に使われたという。今も、のろいの願をかけ、五寸釘を打ち込んだ跡が無数に残っている。
そもそもの「丑の刻参り」は、神社の祭神が、丑年丑月丑日丑刻に国土豊潤のため降臨されるので、霊験あらたかなこの時に、心願成就に詣でたのが始まりという。中世に入り、この「丑の刻参り」が物語に登場し、いくつもの伝説がうまれるようになる。その一つ『宇治の橋姫』は、悪阻(つわり)に苦しんだ橋姫が、夫に七尋(ななひろ)※のわかめを採ってきてくれるよう頼むが、海に出かけた夫は美しい龍神に囚われて戻ってこなかった。橋姫は憎い龍神を呪い殺そうと、神社に参拝して「鬼への変身」を祈願する。すると、「髪を松やにで固めて角を作り、その先に火を灯し、鉄輪を被って、三本の松明を持ち、宇治川に22日間浸りなさい」とのお告げが。喜んだ橋姫はお告げ通り、一心不乱に宇治川に浸り、鬼になったと伝わる。
※ 尋(ひろ)・・・長さの単位。一尋は五尺(約1.515m)。
さらに、この物語は室町時代になると、謡曲「鉄輪」として登場する。
京都の下京に住む女が、ある日夫から別れを告げられる。夫は暫くすると後妻を迎え、仲睦まじく暮らしていた。あまりの無念に女は、男を呪い報復祈願のお参りをする。生霊となって、男を呪い、遂に本望を果たして昇天するという話。
このような物語が生まれ、地主神社の「いのり杉」も、多くの女性が願懸けに訪れたが、それは、単に呪いではなく、悪縁を断ち、良縁(おかげ)がいただける、霊験あらたかな神であったからである。
ときに人は、妬んだり、恨んだりするよこしまな心が出てくる場合がある。また、先の話のように、失った愛を取り戻すため、五寸釘を打ち込んで縁が切れるよう祈ったり、ということも。しかし、気付かないうちに、心の底ではいつも神に助けを求めている。この本当の声を神様は受け止めてくれ、拭い清めて、良縁へと導いてくれるのである。