由来と歴史
嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇と歴代天皇が行幸。また970年には臨時祭・地主祭りを仰せつかりました。
地主神社本殿の形式は、法隆寺と同じ双堂建築で、日本最古の神社建築様式である。
坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、田村麻呂大刀一振りを地主神社に奉納。
4月、嵯峨天皇行幸。(御車返しの桜の故事となる)
3月9日、円融天皇行幸。臨時祭を仰せつかる。これより後、永式として例祭を毎年4月9日に行う。
白河天皇行幸。地主神社にて17日間参籠(さんろう:神社に昼夜にこもっての祈願)された。
後白河上皇篇『梁塵秘抄』に地主神社の記述あり。毎年三月、白川女により地主桜を御所に献上。
清水に 天露別の おはすれば むべこそ神は 天降るらめ
(清水山に天孫降臨に従った天露別の神[地主神社の神の意]が いらっしゃるので、どうりで神が天降りなさることだ)
ちかひきて 天の岩戸をあけしより かたきねがひを かなふべしとは
(地主神社の神様のご利益、ご神徳の貴さを称えた歌)
謡曲『田村』『熊野』をはじめ、『梁塵秘抄』『閑吟集』など、有名文学にたびたび登場。「地主権現」の名が、ご利益ある神様として全国に知れわたりました。
運慶、狛犬一対奉納。梶原景清が参拝。
宗祇、地主連歌を興行。名桜・地主桜が『閑吟集』に詠まれる。また、謡曲『田村』(世阿弥作)・『熊野』でも地主桜が謡われた。
地主の桜は 散るか散らぬか 見たか水汲
散るやら 散らぬやら 嵐こそ知れ
おもしろ花の 都や筆でかくもとも及ばじ東に祇園
清水落ちくる 滝の音羽の嵐に地主の桜は散り散り……
それ花の名所多しといへども 大悲の光色添うゆえか
この寺の地主の桜にしくはなし
あらあら面白の地主の花の気色やな 桜の木の間に洩る月の
雪もふる夜嵐の 誘ふ花とつれて散るや 心なるらむ
清水寺の鐘の音 祇園精舎をあらはし 諸行無常の声やらむ
地主権現の花の色 沙羅双樹の理なり
室町時代から江戸時代にかけて、連歌師より月の晦日に盛んに興行されました。