羽根つきの起源は、14世紀頃に中国で羽根に硬貨をつけたものを蹴る遊びがあり、それが室町時代に日本へ伝来したものとされています。羽根つきは羽子板で羽根を空中へはね上げて遊びます。羽根にはムクロジという植物の実が使われていて、ムクロジは「無患子」【子(どもが)患(わ)無(い)】と書きます。そのため羽根つきは1年の厄をはね、子供の成長の無事を願うものとして、親しまれてきたのです。打ち損なって羽根を落とすと、顔に墨を塗られるというルールも、魔除けのおまじないなのです。
凧あげは、古来中国では占いや戦いの道具でした。平安時代に貴族の遊戯として伝来しましたが、一般庶民のあいだで盛んになったのは江戸時代のことです。 もともとは、年初めに両親が男子の出生を祝い、その健やかな成長を祈る儀礼として行われていたもので、願いごとを凧に乗せて天に届けるという意味もありました。 また、凧は、関東の方言で「タコ」、関西の方言では「イカ」「いかのぼり(紙鳶)」と呼ばれていました。その由来は、凧が空に揚がった姿が、「たこ」や「イカ」に似ているから、という説があります。
独楽まわしは、宮中の年中行事の余興として行われていたものが、平安時代になって貴族の遊戯となり、平安後期に子供の遊び道具となり、江戸時代から庶民の遊びとなりました。 その名の由来は、奈良時代に唐から高麗(こま=韓国北西部)を経て伝来したので『こま』という名前になり、中国語表記の『独楽』の漢字が用いられたと言われています。
双六は、最も古い遊びの一つであり、インドに起こり、奈良時代頃に中国を経て日本へ伝わり、貴族のあいだで盛んに行われました。やがて東海道五十三次を進んでゆく「道中双六」や人生にちなんだ、「出世双六」といったような簡単に遊べるように工夫した絵すごろくが江戸時代に人気を呼び、お正月などに親しまれるようになりました。何人でも参加でき、簡単に遊ぶことができる双六は、お正月に家族みんなで楽しめ、その年の運だめしにもなりますね。
ひょっとこや阿多福(おたふく)、だるまの顔などの面の輪郭だけが描かれた台紙に、眉・目・鼻・口の形の紙片を目隠しをした者がそれを適当に置いていく遊びです。出来上がった顔は、並べる者が目隠しをしているため、とんでもない場所に置かれることがあり、その出来上がりの顔立ちの面白さをみんなで笑って楽しみます。「笑う門には福来る」というように、新年早々笑いがこぼれるのがめでたいとされ、江戸時代から正月の子どもの遊びとなっています。
かるたの起源は、室町時代に来航したポルトガル船が伝えた「うんすんかるた」(ポルトガル語で「カード」という意味の「カルタ」)だと言われ、それが平安時代に貴族の間で行われていた貝合わせという遊び(貝の裏に絵や歌を書いたものを並べて、ペアになる貝を当てる遊び)と結びついて、後にかるたになったといわれています。
昔の人の知恵がこもった「いろはがるた」は、江戸時代後期に、子どもがひらがなやことわざや生活に必要な知恵を、遊びながら覚えられるようにと一種の教材として考え出されました。
百人一首は、百人分の歌を集めた歌集のこと。
原型は鎌倉時代の歌人である藤原定家が、百人の歌人から優れた和歌を百種選んだものでした。
天智天皇をはじめ、鎌倉時代の順徳院まで、古今集や新古今集などの勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)から選ばれており、平安王朝時代を代表する和歌が集められています。
もともと宮中の遊びだったものが、江戸時代の木版画技術によって「絵入りの歌がるた」として庶民に広がりました。正月は子供が遅くまで起きて遊ぶことをゆるされていたということや、江戸後期以降には、百人一首のためだけの会を行うことがしばしば見られたりしたこともあり、お正月に楽しまれるようになりました。