初詣では、多くの人が絵馬にその年の願い事を書いて神社に奉納します。絵馬はどうやって生まれたのでしょうか。
奈良時代、祈願のために神社に生きた馬を神馬(しんめ)として捧げていましたが、馬が高価なこと、その世話も大変であったことから、代わりに木や紙などで作られた馬の像が使われるようになりました。その後平安時代から馬の絵が描かれた板で代用するようになり、現代と同じような形で庶民にも広まったのは江戸時代になってからのことでした。
京都地主神社では毎年、その年の「干支絵馬」を授与しています。干支の動物をかたどった置物や絵は「干支物」とも呼ばれ、その年の縁起が良いといわれています。縁起物でもある干支絵馬にあなたの願いを書いて、新しい年の良縁や、開運招福を祈りましょう。
昔、弓は武門にとってたいへん大切なものであり、お正月には弓の技を試す「射礼」(じゃらい)という儀式が行われていました。
また、毎年お正月には男児のいる家に子供の無病息災、成長を願って、弓矢を組み合わせた玩具を贈る風習が生まれました。この弓矢は「破魔矢」「破魔弓」と呼ばれ、円盤を双方から打ち込む弓の競技「ハマ」で使われた「はま矢(浜矢)」「はま弓(浜弓)」が魔を破る魔よけの「破魔」に通じるとして名前の由来になったと言われています。
今は不幸を遠ざけて一年の幸運を射止めるお正月の縁起物とされて、毎年京都地主神社でも授与しています。
災難が多く降りかかったり、大きな変化がおこりやすい年齢のことを、厄年(やくどし)といいます。その年は一年よくよく注意し、慎ましく生活しなければならないとされる平安時代から続く風習です。
男性は、数え年※で25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳が本厄とされています。なかでも男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事にあう率が非常に高いといわれています。この3回の厄年の前後1年間も前厄(まえやく)・後厄(あとやく)と言われ、注意が必要な年になります。
この災難を避けるために、厄年(前厄、本厄、後厄)に当たる新年の最初に、社寺にて「厄払い」の儀式が行われます。この儀式で、一年の災厄を避けて一年を平安無事に過ごせるように祈祷します。
※数え年の計算の仕方…元日から誕生日前日午後12時までは「満年齢(誕生日を基点とする実際の年齢)+2」、それ以降は「満年齢+1」となる。
初詣に来たら、新しい年がどんな運勢なのか、おみくじを引いてみる人も多いのではないでしょうか。
おみくじは、古くは国の政治に関して神様の意志を聞くための手段として使われてきました。現在のように個人の吉凶を占うようになったのは、鎌倉時代になってからだそうです。
おみくじを結ぶことが縁を結ぶことに通じることや、木の生命力にあやかることから、おみくじを木の枝に結びつける風習が江戸時代からありました。現在では木や植物を保護するために、地主神社でも「おみくじ結び所」を設けています。
地主神社のおみくじ「恋占いおみくじ」(1回200円)は、神さまからのお告げが読みやすい言葉で書いてあり、総合運気を「運勢」、恋の運気を二つの方向「恋愛」「縁談」から、くわしく占っています。 運勢の良い順から大吉>吉>半吉>小吉>末吉>凶>大凶の7段階に分かれており、大吉がでたら必ず持ち帰り、凶や大凶がでたら幸運への願いを込めて「おみくじ結び所」に結びつけていただくように、おすすめしています。