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由来と歴史

地主神社の歴史

戦国~江戸時代

古文書によると、「恋占いの石」に興じる老若男女で境内が一日中にぎわったと、当時の繁栄の様子が記されています。また、地主神社祈り杉での「丑の刻参り」が大流行したのもこの頃です。1633年徳川家光公より御社殿が再建されました。

1581年

天正9年

3月、豊臣秀吉が地主神社にて花見の宴を催す。

1603年

慶長8年

出雲の阿国、歌舞伎を奉納。

1633年

寛永10年

徳川家光公により御社殿再建。

1705年

宝永2年

北村季吟・室井其角、地主の桜の俳句を奉納。

1779年

安永9年

後桃園天皇崩御につき、地主祭りが5月8日となる。

1789年

寛政元年

光格天皇が鶴亀松竹梅模様の酒器(瓶子:へいし)を御奉納。

1822年

文政5年

清水寺成就院蔵海が本殿屋根を修復。

1849年

嘉永2年

古文書によると、地主神社乙羽竜神の加護により、さる商人が無事に唐土より帰国できた。厄除子孫繁栄の守り神としてますます信仰を集めたとある。

1857年

安政4年

有栖川宮幟仁親王(神道教導職総裁)地主神社へ「地主権現」御神号御筆奉納。

茶屋おどり

赤まえだれの茶屋の娘が、舞や野点などを奉納した。奉祝遷都1100年奉納絵馬から推察。

俳句

芭蕉の師・北村季吟、蕉門の十哲のひとりである室井其角などが、地主神社を題材としている。
地主からは 木の間の花の 都かな  季吟
京中へ 地主の桜や 飛胡蝶     其角
宗盛も 車にみゆれ 地主祭り    紫暁
景清は 地主祭にも 七兵衛     太祇
押しあふて 車やどりや 地主祭り  瓜流

明治~大正

神仏分離令(神仏判然令)により、清水寺より分離独立。名称も地主権現社から地主神社へと改められました。

1869年

明治2年

有栖川宮熾仁親王筆「地主権現」御神号を御寄付。政府より「明神号」下付。

1870年

明治3年

清水寺成就院より地主神社に対し覚書。神仏分離令により毎年米弐石助成。

1871年

明治4年

地主の桜、禁裏御所への献上を一時中止。

1878年

明治11年

神幸祭を4月7日から5月8日に改める。

1881年

明治14年

12月12日昇格報告祭。社詞・中川義郎。

1896年

明治29年

6月4日、内務大臣・板垣退助へ由緒下付金を申請。

昭和~平成

縁結びの神としてご神徳が全国に広がり、新聞・テレビ・雑誌にたびたび取り上げられました。1975年(昭和50年)に、昭和の大修理。御本殿の極彩色が見事に甦りました。本殿、拝殿、総門と境内地が国の重要文化財に指定され、1994年(平成6年)には世界文化遺産に登録されました。

1936年

昭和11年

12月13日、国運隆盛を祈願し狂言奉納。茂山千五郎。

1962年

昭和37年

9月、中川平宮司が就任。中川弌郎名誉宮司。地主祭り5月8日を5月5日に改める。3月、地主桜植樹祭、献木・佐野藤右衛門、考証・井上静蔵。

1964年

昭和39年

文部省に対し、重要文化財に関する調査請願。文部大臣・灘尾弘吉、文化庁調査代表・関野克、文化庁建造物課・伊藤延男。

1966年

昭和41年

6月、地主神社本殿、拝殿、総門が国の重要文化財に指定される。

1968年

昭和43年

岩井博美、芭蕉堂社中により、清水連歌200年ぶりに復活。

1975年

昭和50年

ご本殿、拝殿、総門、昭和の大修理。

1976年

昭和51年

11月12日、拝殿天井の青竜(狩野之信筆)、入魂式(点眼式)。12月26日、遷宮祭。
「地主桜」は第104回都をどりの演目となり華やかなフィナーレを飾る。

1977年

昭和52年

地主神社修復記念大祭。

1983年

昭和58年

12月古都税紛争により、清水2丁目に臨時御座所を設ける。翌年正月には例年通りの初詣参拝者で賑わった。

1985年

昭和60年

清水2丁目臨時御座所に、礼宮殿下参拝。

1988年

昭和63年

天皇陛下病気平癒祈願祭。地主神社芸能社建立。

1990年

平成2年

即位大礼・大嘗祭奉祝祈願祭。地主神社神楽「良縁の舞」「奉祝の舞」完成奉納。

1993年

平成5年

地主神社境内地が、本殿・拝殿・総門に加え、国の重要文化財に指定。

1994年

平成6年

11月23日、平安建都千二百年祭祭典執行、平安建都千二百年奉祝絵馬授与。
12月、世界文化遺産登録。地主神社本殿・拝殿・総門、及び境内地。