別名「牽牛花(けんぎゅうか)」。昔中国で、朝顔の種が薬として非常に高価で珍しいものであったため、贈られた人は牛を引いてお礼をしたことからそう呼ばれている。平安時代、日本にも伝わり薬として重宝された。
その後、江戸時代になると、朝顔が七夕の頃に咲くことと「牽牛花」と呼ばれていたことから、花が咲いた朝顔はひこぼしとおりひめが年に一度出会えた事のあらわれだとして、縁起の良いと言われていた。
七夕特集
わし座の星。牽牛星(けんぎゅうせい)。夏の大三角の一角で、七夕の夜、天の川を渡って織女星(しょくじょせい)と会うという伝説がある。太陽の直径の1.5倍の大きさで、明るさは10.7倍である。
平安時代前期の歌人・官人。三十六歌仙の1人。下級官僚で地位は高くなかったが、和歌の名人としては名高く、紀貫之(きのつらゆき)らと並び称された。「古今集」の4人の選者の一人でもあった。
百人一首の次の歌を詠んだ人物でもある。
「心あてに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花」
正方形の折り紙を使い、鶴の形に似せて作ったもの。七夕かざりにも使われている。この鶴を千羽作り、つなげたものを千羽鶴といい、入院者へのお見舞いに用いられる。長寿のシンボルでもある折り鶴を1000羽折ることで、病気が治り長生きできると言われています。
古代中国では、天の動きと人の世の動きは互いに影響を与えあっているという思想(天人相関説)が信じられており、すべての事柄の吉凶を天文の変化から予知し、どう対処してゆくかを決めていた。これを受けて日本でも独自で発展していき、陰陽寮(おんみょうりょう:日本の律令制において中務省に属する機関のひとつ。占いや天文・時・暦を担当する部署で、陰陽師として安倍晴明も任命されている。陰陽師も養成も行われていた)でも教えられていた。
カジノキの古名。カジノキとは日本やアジアなどで古くから栽培されているクワ科の落葉小高木。
カジノキは神聖な樹木のひとつとされ、古代から神に捧げる神木として尊ばれていた。神社の境内などに多く生えられ、神事の際にそなえ物の敷物などに使われた。昔は七夕かざりの短冊の代わりとしても使われた。日本の家紋である「梶紋」の紋様としても描かれている。
乞巧奠(きこうでん)は、織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにと、7月7日にお祈りをする中国の行事。庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げる。やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになった。この行事が日本の七夕行事の由来の一つとも言われている。
宮中(皇居)での行事全般のこと。宮中行事は古くから行われており、それが徐々に庶民の行事へと広がっていったものもある。今は一般的に広く行われている七夕行事は、宮中行事が始まりである。
恒星の大集団のこと。典型的なものは、数千億個以上の恒星と星間物質でできており、質量や大きさは様々である。その形から楕円銀河、渦巻き銀河、棒渦巻き銀河、不規則銀河に分類され、宇宙空間に無数に存在する。身近なものでは、私たちの住んでいる地球や太陽が含まれる「銀河系」や「アンドロメダ銀河」「大マゼラン雲」「小マゼラン雲」「さんかく座銀河」などがある。銀河系含め、ほとんどの銀河の中心には「超大質量ブラックホール」が存在すると言われている。
名前の由来は、中国語の「銀河」に由来する。これは、天の川が銀色に見える事から名づけられたもの。
エジプトのアレクサンドリアで活躍した、古代ローマの天文学者・数学者・地理学者・占星術師。著書『アルマゲスト』で、地球は宇宙の中心にあり、太陽やその他の惑星が地球の周りを回っているという天動説を唱えた。現在の地動説を唱えた学者も古くからいたが、それはなかなか認められることはなく、この天動説が惑星の運動を説明するモデルとして1000年以上にわたってアラブやヨーロッパ世界に受け入れられた。
奈良・平安時代に日本から唐につかわされた外交使節のこと。唐を中心とする東アジアの国際情勢の情報を入手することや、先進的な唐の仏教や文化、法制度等を輸入することが目的だった。630年に第一回の遣唐使がつかわされてから唐が衰退し始める894年まで、200年以上で十数回以上にわたり継続的につかわされた。遣唐使は先進的な文化や制度の取り入れ、仏教の日本への伝播などに大いに貢献した。
黄道12星座ともいう。太陽の通り道である黄道(こうどう)にそって並んだ12の星座のこと。春分の日に太陽がある場所(春分点)から、30度ごとに区切り、それぞれにある星座に名前をつけたことがはじまり。
The International Astronomical Union:IAU。1910年に設立された世界の天文学者によって作られている国際組織。天文学に関するルール作りや、星座の名前や境界の決定、恒星や惑星をはじめとする天体に対する命名権を取り扱っている。
イネ科の植物。茎がかたくなり、中が空洞になっていて節がある。七夕かざりに使われる笹は、竹に似た小型の植物。冬でも緑を保ち、まっすぐ育つ生命力にあふれた笹や竹には、昔から不思議な力があるとされてきた。神聖な植物ゆえに、そこに神を宿すことができるとも言われており、七夕かざりにも利用されている。
おおいぬ座のα星(あるふぁせい:一つの星座の中で、最も明るい星のこと)。全天で最も明るい星で、明るさの等級は-1.43、光度は太陽の26倍にもなる。地球上から見える星の中でも太陽の次に明るい恒星である。オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンともに、冬の大三角を形成している。
シリウスは現在の暦の5~6月頃は昼間の空にあるため見られないが、夏頃になると日が昇る直前に少しの時間だけ見えるようになる。古代エジプト人たちは、この日の出前にシリウスが姿を現す現象の最初の日を「ヘリアカル・ライジング」と呼び、毎年起こるナイル川の氾濫の時期を調べていた。
農作物の無事の収穫を祝うためのお祭り行事。
収穫祭の始まりは農作物の栽培が行われるようになってから間もなくとも言われ、古くから世界的に広くとり行われている。
一般的には実りの季節である秋に行われる事が多く、米や麦、トウモロコシなどその土地の主食や栽培がさかんな農作物の収穫を祝う。
海外ではトマトを投げ合う「トマティーナ」と呼ばれるスペインの収穫祭が有名である。
宿曜道は、平安時代、真言密教の開祖 空海をはじめとする留学僧らにより、密教の一分野として日本へもたらされた占星術の一種である。陰陽道に対する「宿曜道」として盛んに行われた東洋占星術。インドの仏教の経典「宿曜経(通称)」をベースに、天体神信仰、陰陽五行説等が混ざったもので、基本的には誕生日の北斗七星などの動きや曜日によって運命を占ったり、日時や方角の吉凶を占う。凶の時は運勢を好転させるためその星の神々をまつる。密教占星術、宿曜占星術などと呼ばれ、現代の占いにも使われている。
恒星を身近な動物(羊やヤギ、牛など)や人間のすがたに見立てて適当に結び付け、天球を区分したもの。その起源は古く、紀元前3000年ごろに古代カルデア(メソポタミア南東部:現在のイラクのあたり)の人々によって星座が生まれたと考えられている。古代ギリシャでは48星座であったが、後に南天の星座が追加され、現行の星座は1930年に国際天文学連合により決定されたもので、全天を黄道12、北天28、南天48の88星座に分類している。
季節の変わり目などを祝う年中行事およびその日。
1/7の七草、3/3の桃、5/5の端午(たんご)、7/7の七夕、9/9の菊の節句を「五節句」とよぶ。
日本や東アジアで食べられている小麦粉を原料とした麺。古代中国で食されていた「索餅(さくべい)」が日本に伝わって現在の形に変化したと言われている。日本では室町時代から「索麺(さうめん)」の名で文献に登場する。室町時代の文献には「梶の葉に盛った索麺は七夕の風流」とあり、七夕の料理として使われていた様子がうかがえる。江戸時代には、七夕にそうめんを供える風習が広まっていった。細く長いそうめんを糸に見立てて、裁縫の上達を祈願したものと伝えられている。
昔の人々は、夏に、選ばれた乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうという行事をおこなっていた。
「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれたこの乙女は、川などの清らかな水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織る。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機だった。やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになった。現在の七夕の行事は、この神事とおりひめとひこぼしの伝説と中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」が元になったと言われている。
七夕にまつわる言い伝え。主に天の川に絡んだ物語が多い。日本の七夕伝説は中国の物語がもとになって伝わったものであるが、世界各地でもさまざまな七夕伝説が伝えられている。中国の天女の伝説、フィンランドの仲睦まじい夫婦の物語、ギリシャの神話とクロスした物語など、同じ天の川をモチーフとした恋の物語が今も語り継がれている。
短歌や俳句などを書くための細長く厚い紙。七夕で使われる短冊は、折り紙を細長く切ったものである。最初はメモ用紙として使われていたが、歌会での題を引く「くじ」に使われるようになり、のちに和歌を書くようになった。
天体観測や天文現象など、地球外で起こる自然現象の法則等を発見する学問。大別すると位置天文学・天体力学・天体物理学に分けられる。位置天文学は天体の位置、天体力学は天体の運動を研究する学問で、天文学の中では古典分野とみなされている。いっぽう天体の物理状態や進化を研究する学問である天体物理学は近代分野とみなされている。天文学は多くの分野において物理学を前提として成り立っているため、観測結果のほとんどは物理的に説明される。
七夕まつりは、7月から8月にかけて各地で行われているが、次の三つの祭りが日本三大七夕まつりと言われている。
地主神社では七夕の日の7月7日、七夕こけしを笹の葉に結び、恋の願掛け祈願「七夕祭」を行っています。
毎年、恋愛成就を願うたくさんの人々が訪れ、七夕色に染まった境内が盛り上がりをみせます。
月が太陽と地球との間に入って、太陽を隠してしまうこと。その影のでき方によって、部分食、皆既食、金環食がある。
これに対して、地球が太陽と月との間にきて太陽の光をさえぎり、月の一部または全部を隠すことを「月食」という。
日本の俳人。1899年(明治32年)東京生まれ。1917年、18歳の時に大阪の建築家・実業家橋本豊次郎と結婚し、のちに小倉に「櫓山荘(ろざんそう)」と呼ばれる洋風3階建ての自宅を建築し移り住む。当時櫓山荘は小倉の文化サロンとして利用され、さまざまな文化人が訪れた。1922(大正11)年3月、櫓山荘で開かれた高浜虚子(たかはまきょし)の歓迎句会で、俳句に惹かれ、俳句を始めるようになる。女性の哀しみや不安、自我などを女性特有の微妙な心理によって表現した。句集に『海燕(うみつばめ)』『信濃(しなの)』『紅絲(こうし)』などがある。
数本の長い布を取り付けた輪をサオの先に結んで、風になびかせるもの。気象台や飛行場で風の向きを調べるのにも使われる。魔除けの意味をこめて飾る風習も残っており、鯉のぼりや七夕行事などでも使われる。
旧暦7月の呼び方。文月の由来は、七夕の行事で短冊に歌や字を書いて書道の上達を祈ったり、本などの書物を夜風にさらすという風習があったことからというのが有力とされる。しかし、七夕行事は奈良時代に中国から伝わったもので元々日本にはないものであることから、陰暦七月が稲穂がふくらむ月であることから「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」から転じたという説もある。
また、稲穂のふくらみを見る月であるため、「穂見月(ほみづき)」からの転とする説もある。
こと座の星。織女星(しょくじょせい)。夏の大三角の一角で、七夕の夜、天の川を渡って牽牛星(けんぎゅうせい)と会うという伝説がある。太陽の直径の3倍の大きさである。星の明るさ(等級)の基準となる星で、ベガを0等級として、この星と比較してすべての星の明るさ(等級)が決められている。
星座占いともいう。生まれた月日から「星座」を確定して、それによって性格や相性、運命などを占う。海外でもタロット占いなどと並んで人気の高い占い。
明治時代の俳人・歌人。俳句や短歌をはじめ小説や随筆などの創作活動も行った。新しくする運動をおこし、自然や人生をありのままに詠む新しい作品を作った。夏目漱石とは同級生で親しく、ともに俳句会などを開いていた。
江戸時代前期の俳諧師(はいかいし)。井原西鶴、近松門左衛門と並ぶ元禄三文豪のひとり。華やかさやおもしろさを表現した句が人気だった時代の中、自然の美や人生についての句を数多く残し、俳句の他にも「おくのほそ道」などの紀行文も残した。
奈良時代にまとめられた日本最古の和歌集。天皇や貴族をはじめ、農民や防人(さきもり:九州の守り人)など、さまざまな身分の人たちが詠んだ歌が約4千5百首集められている。
自分の身に罪や穢(けが)れのある者や、神事に従事しようとする者が、自分自身の身を氷水、滝、川や海の水で体を洗い清めることをいう。
名前の由来には様々な説があり、身体を水で洗い清めることから「ミソソギ(「ソソギ」は「そそぎます」(すすぎます)を名詞化した語)」という、また「ミ」は「水」の意味とする説や、「ソギ」は「削ぐ(そぐ)」とする説もある。現在、寺社で参拝前に手水所で手を清めたりするのも、禊ぎの名残りだといわれている。